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自分が生まれ、生きることの本質を知りたい人へ。自分の脳の情報を読む『読脳法』を指導するスクールです

中学生クラス

読脳開発者 伊東聖鎬PRESENTS
『中学生の本来の自分育てクラス』

中学生の葛藤:大人でも子供でもない「中途半端」な自分

中学は人生の中で、最も感受性が高い時期です。

本当に、大事にしたい3年間です。

分かってもらいたいと思うことがたくさんあります。

分かってあげたいと思うこともたくさんあります。

それなのに、なかなかうまくいきません。

気持ちはいっぱいあるのに伝わらない。分からない。

友達になろうと思って努力するが、うまくいかない。

もどかしい。色々なことに興味、関心があり、気が多い自分を責めたりもする。

何一つ、確信が持てない。

両親のこと、兄弟のこと、勉強のこと、友達のこと、それ以外にも色々あると思うが、明確にそれが何なのか分からない。

小学生の頃とは、まるで違う。

と言って、大人でもない。

本当に中途半端な立場、存在。

なかなか勉強に集中できない。

こんな勉強が、大人になって必要になるのか。こんな勉強が、自分にとって必要なのか。

そんなこと、誰が分かるのか。絶対必要なものとは思えない。

もっと他に大切なこと、大事なものがあるのではないか。でも分からない。

二年生の変化:秘密と他者への目覚め

二年生にもなれば、友達付き合いが大切になってくる。

皆、同じようなことで悩んでいるのだろう。

しかし、中には思いもしなかった事柄、内容で悩んでいるクラスメイトもいる。

そんなこと、相談されても全く答えようがない。

実は、そんなクラスメイトが何人もいる。

みんな同じようなものと思っていたが、実際はいろいろだ。

いろんな家庭、いろんな家族、いろんな事情、いろんな生い立ち。

一年生の時にはなかった。二年生になった途端、そんな話や相談を受けるようになった。

自分が急に、大人になったような気になる。

ますます親にも、兄弟にも話せないことが増えていく。

秘密が増えていくような気がする。勉強にも集中できない。他のみんなもそうなのだろうか。

両親から「勉強しろ」と言われる。

意識する異性も現れた。一年生の時から気になっていたが、今ははっきりと意識している自分がいる。

そんなこともあり、学校へ行くのは楽しい。

あちこちでそんな話題が上がっている。結構、皆も同じような気持ちでいるんだ。

考えること、思うこと、やることがいっぱいある。

時間が足りない。睡眠時間を減らす以外にない。

三年生の壁:受験勉強と「本当の自分」の狭間で

そんなこんなをやっている間に、三年生になった。

途端に進学、進学と言われるようになった。

もっと二年生の時のような生活がしたい。

胸がドキドキするような、冒険がしたい。

でも、そんなこと言っていられない。受験勉強だ。

人生にとって一番大事な時期を、受験勉強に時間が取られてしまう。

自分にとって何が一番大事なのかを考えたり、

人間の成長にとって大事な友人と議論をしたり、

情緒を豊かにするために自然と交わったり、

映画、演劇、音楽鑑賞、社会の出来事、世界の出来事、政治、経済、歴史や地理、人物に対しても関心がある。

やりたいことがいっぱいある。

そんなことにも関心がなく、友達もいない。

議論するようなテーマも持っていない。趣味や、興味を持てるものもない。

そんな人は、学歴でしか人に太刀打ちできないと考えるようになるのです。

また、そんな人は親から、周りから、お金を稼げなければ、一人前じゃないと吹聴され、何も考えることなく、受験勉強に邁進するのです。

実は、そんな人の方が多いのです。約80%がそうです。中学生にして、そうです。

自分が何をやりたいのか。何に向いてるのか。そんなこと、分からない。

現実の社会は、「社会人になって食えるようになれ」。こんな考えの人が、社会を作っているのです。

そして、今の社会は、未来も夢も希望もなくなっているのです。そんな大人になるために、受験勉強するのか。

多感な中学時代を過ごし、さらに進学したいという人にとっては、それほど受験勉強は苦にならないでしょう。

もっとも、高校には色々あります。全日制、定時制、専門学校と、学校教育に疑問を感じ、校則に縛られることが受け入れられないというのであれば、無理に全日制に行く必要もないでしょう。

将来を考えて、高卒の資格だけでも取っておきたいというのであれば、定時制で十分です。

日中は自分のやりたいことができるのですから、定時制卒業だからといって、差別を受けることもありません。

どこの高校を卒業したのかというような質問は、ほとんどありません。

自分のやりたいことがあるのであれば、それを最優先に考えることです。

やりたいものを持っていない人が全日制の学校に行くのです。

もっと自分の人生、時間を大事に考えて決めることです。

くれぐれも親の言うこと、先生の言うことに、社会の慣習に、振り回されないことです。

教育の罠:社会と国の意図を問い直す

このように、中学時代は人生で最も大事な時期なのに、高校進学のための受験勉強に追いやるというのは、国は何か別の目的があるのかもしれませんね。

国は、そんな多感な時期に自己形成に集中することを由としていないのでしょう。

無駄な時間を過ごさせることを、国民に押し付けているように感じます。

それは何故でしょう。それを考えるのです。

心豊かに情緒を育てたり、友人や家族のことを考えたり、これまでの自分を顧みたり、近い将来、遠い未来を考えたり、異性のことを考えたり、恋をしたりする最もいい年頃です。

高校は、子供から大人に変わっていく変わり目です。

この時期を上手に過ごすことができるかできないかは、人生にとって大きな差となって必ず現れます。

その上で、高校に進学するのか、さらに大学まで進むのか。その目的は、その理由は、を十分に考えることです。

それを十分に行わないことで、無意味な高校、大学進学になってしまうのです。

一年浪人してでも進学するか、中卒で社会に出て、やりたいことをやるのか。

たとえ高校に進学しても、大学進学はしない。

あるいは、大学に進学するにしても、はっきりした目的を持って、大学、学部を選ぶことです。

そんなことも、この時期にやることです。

親や先生は急き立てるかもしれませんが、自分をしっかり持って、自分の望みを達成することです。

それによって、中卒で社会に出るにしても、高校進学するにしても、高卒で社会に出るにしても、全て自分の意志で決めたということにするべきです。

これは、それ以後の生き方に大きく影響します。

この時期だからこそ、自分をしっかり持つことです。

中学を卒業したら、迷わないで自分の人生を生きることです。

人生は学歴でも、有名企業への就職でも、お金でも、地位でもないのです。

何があっても、自分の思い通りに生きることこそが、一番尊いのです。

現実の社会では、自分の人生を、確信を持って生きている人は、ほんの僅かです。

なんで、どうしてでしょう?

多分、この一番大切な中学時代を「無のもの」にし、無気力や自信のない人間を育てるというのが国―米国の目的なのでしょう。

国が必要としているのは、結局、奴隷―家畜や社畜です。

戦後の日本をいかにダメな国にするのかが、連合国の目的でしたから、その計画通りの教育を戦後から現在までの約八十年間、指示された通りに行ってきた結果が現在なのです。

そんな片棒を小学校の先生、中学校の先生、高校の先生、大学の教授までもが、担ってきたのです。

実は、そんなことも知らない先生も多いのです。

親もそうです。知らない、分かっていないのです。

そんな周囲の大人たちに振り回される必要はないのです。

自分の人生、自分に責任を持って生きることです。

親も先生も、あなたの人生に、結局責任など持てません。

今、気づくことです。本当を知っているのは、あなたの脳の中にある、あなた自身の“元”からの情報だけです。

何があろうが、どんなことを言われようが、自分のことは自分で責任を負う以外にないのです。

あなたの人生は、あなた以外の人間が入り込む必要などないのです。

そのためにも、自分のことは自分自身が全責任を持って考え、決定することです。

「自分」を探求する:混乱こそがスタート

自分って何?

それが分からない。

自分って分かるものなのか。

分からなければならないものなのか…。

相手にも自分がある。

自分が関わっている相手にも自分があるのです。

その相手は、“本当の自分”を持っているのか。

相手と関わる自分は、どんな人間でなければならないのか。

相手が目の前にいる時、自分はどうすればいいのか。

それには責任が発生する。

人と向かい合った時には、責任が発生するのです。

自分って……?

どんなに考えても、自分が知っている自分しか出てこない。

相手が自分を観た時、自分が思っている自分と違う自分を言ってくる。

10人の相手が目の前にいる時、自分は、自分で思っている自分でいいのか。

相手が思っている自分のこと、そんな相手が10人いれば、10人みんな違うことを思っているはずだ。

そんな相手と同時に関わる時、どの自分でいればいいのか。

Aが勝手に思っている自分。

また、Bが思っている自分。

自分は一体どんな自分で相手と関わればいいのか。

自分って何…? ますます分からなくなる。

子供の頃から、なんとなくそんなふうに育てられたのでしょう。

間違いなく、混乱する教え方、育て方、さらに混乱させる教育、指導だったのでしょう。

みんなが混乱しています。

みんながみんな混乱すれば、支配者はやりやすいのです。

そんな混乱を狙って、そんな教育を保育園、幼稚園、小学校、そして中学でも、高校でも大学でもやっているのです。

小学生から中学生になった君に、気付いてほしいことがある。

この問題を真剣に考えてほしいんだよ。

みんなが思っている“自分”は、はたして“本当の自分”なのか?

では、みんなは自分の何を見て、自分のことを、こうだ、ああだ、と思っているのだろう。

分からない。

そんな確信も持てない。

それに振り回され、混乱し、悩んでいるというのがこの中学の時期です。

中学は「自分スタート」の時です。

つまり、混乱をもつ時なのです。

思春期が始まった時、これは“元”―無が無でなくなり有になった瞬間の情報から、子供から大人になるサインが、女子は生理という形で、男子は夢精という形で、肉体から始まる。

そして中学は、心、精神を育てる時期。

そういう意味において、答えというものは、まだ用意されていない。

妥協して分かったつもりで、人から言われる自分を自分なんだと思ってしまったり、勘違いしたり、

悩んだり……。

それでいいの? 一体どれが自分なの?

自分で探す自分。相手があっての自分。

相手がたくさんいると、いろいろな自分がいる。

そんな、いろいろな相手が言う自分を平均したものを自分と考えるのか?

そんなものはナンセンスです。

だから、この時期は一生懸命考えることです。

混乱しながら、一生懸命考えることがこの時期にやることです。

だから、分からなくてもいいのです。

異性と友達:精神を育てるための「同志」

我々人類は、男と女しか存在していません。

見た目の上で、男と女、二種類しかいません。

一方が自分で、片方が異性です。

その異性をどう捉えるのか。

例えば、同性であれば、その相手は自分と同じ―共通というものがあります。

ここではじめて、異性というのはまったく違う相手だということが分かります。

同じ人間であるのに、まったく違う―異性というものがいつ分かってくるようになるのか。

これは、実際に難しいことです。

人生をかけ、100年をかけて掴む大事業なのです。

それほどに異性というのは、どう捉えていいのか分からないものなのです。

それを掴んだ人は少数で、ほとんどの人が掴めないまま人生を終わってしまうというのが現実です。

これを中学生に求めるのは、酷です。

既にそんな異性とは、赤ちゃん、幼児、さらに保育園、幼稚園、小学校と、成長しながら触れ合ってきています。

にも関わらず、中学生であれば、生まれてきてまだ13、4年です。

自分のことさえも分からない、確信も持てないという状態です。

そんな状態で、自分とまったく違う異性を分かろうとすることは、無理な話です。

男も女も、両方で異性のことが分かりません。

だからこそ興味を持ちます。

男も女も異性に対して興味が尽きません。

その興味の中で、異性と関わっていくのです。

その関わり方は、小学生から中学生にかけて、子供から大人という変化の中で、異性を捉えていくのが中学生です。

子供ではない、子供から大人になっていくというその中で、どう相手に対して興味を持てばいいのか。

それぞれみんな違うのです。

にも関わらず、現実社会は、男は女に、女は男に、興味の持ち方を押し付けてきます。

そんな中で、多くの男も女も混乱しています。

みんな違っていいものなのに。

自分が男でありながら、男って何?

分からないのです。

相手は女でありながら、女って何?

女自身が、女って何?

分からないのです。

そんな者同士が、異性として関わるのです。

小学高学年から中学にかけて、異性と関わったりします。

小学低学年で「異性と関わる」という表現は、あまりしないでしょう。

子供から大人としてのサインが出てきた男と女というのは、違う性に対して責任を持ちなさいと、それは異性として意識するように、社会から、大人から求められているのであり、“元”からみた時には、異性とかそういう表現は必要のないものです。

同時に、男、女というのもあまり意味がないのです。

だから今の時代、LGBTQという表現もあるように、いろんなカタチの性があるのです。

今の時代、そういう考え方が定着し、否定するものではありません。

 “元”は、男と女しかない、というものではないのです。

体の形で見た捉え方は、“元”にはありません。

一方は、卵巣があり子宮がある―それは子供を宿し、子供を産むという種類。

両方が関わることで子供ができる―そのための他方。

この二つがあるのです。

地球に発生した生物は、全てこのパターンで成り立っているのです。

人間だけではありません。

植物、動物、すべて異性が存在します。

それぞれの種が発展する上で必要だったのです。

「無が無でなくなり有になった」ということと、全く同じなのです。

一番最初は、無が無でなくなり有になった意味、理由、必要と同じ。

人間においては、異性というものが最初から有ったのです。

それがスタートです。

みんなが意識する「好き」、「嫌い」。

それは気持ちや感情から出てくるもので、育ってくる環境の中で出来てくるものです。

多くの人が意識しているものは、教育や環境、社会的な影響の結果であり、それ等は、環境や、年齢や、状況が変われば変わっていくものです。

だから、その時に異性に対して持っていたものも、変わっていくのです。

変わっていくのが自然なことなのです。

最初の性は、何年経とうが変わることはありません。

異性に対する感情や気持ちというものは、地球に生きることで起こる現象です。

無が無でなくなり有になり、そして同時に“ゆらぎ”が発生し、宇宙が誕生し、地球が、生物が、そして自分が誕生しました。

 “元からのゆらぎ—情報”は、直接脳に入るものと、体を支持する支持骨から入るものの、二つに分かれて脳に入ります。

 “支持骨から入るゆらぎ”は、“感情や気持ち”をつくります。

 “直接脳にはいるゆらぎ”は、“真理”を、それが“精神”をつくります。

そして、“感情と気持ちと精神が混ざり合うと、心”が生まれるのです。

それが異性に対して反応するのです。

にも関わらず、脳に直接入ってくるゆらぎ—“元”の真理、つまり精神は、感情、気持ち、心の影響を受けません。

精神はぶれることがないのです。

だから異性に対して、どう捉えればいいのか、どう関わればいいのかが分からなくても、精神が育ってくれば、振り回されることがないのです。

つまり、異性の捉え方は、精神の中にあるのです。

そして、異性をどう捉えればいいのか、どう関わればいいのかは、脳の情報を読むことができれば分かるのです。

分かりたいのであれば、脳の情報を読み出す以外にありません。

友達―この時期にこそ大切な存在

小学校、中学校、高校、大学、20代の頃の友達というのは、物凄く大切な存在です。

それは、親よりも、兄弟、姉妹よりも。

それなのに、30代、40代、50代……歳を取っていくと、友達がいなくなってしまう…というのが今の社会の現実です。

社会的にそうなのでしょうか?

日本独特の現象なのでしょうか?

他の国では、日本ほど明確になっていないと思います。

友達というものは同志です。

異性であったとしても同志です。

では、同志とは?

それは、ひとつの目的、ひとつのテーマを共に闘う、共に向かう、そういう相手を同志と言います。

友達というのは、そういう同志であるものです。

この中学の時の同志―友達とは、つまり自分達のテーマを共有できる相手です。

ということは、そういうテーマを持っていない人は、同志がいないことになってしまいます。

幼友達とは違う、中学以降できる同志としての友達。

中学の時は、「自分って何?」これが大きなテーマです。

それを知りたいという方向性、エネルギーを持っている人は、同じエネルギーを持っている相手を探しやすいと思います。

これは異性とは違うのです。

そんな友達は、中学、高校、大学、社会人、そして結婚するまで、そんな同志として関われます。

しかし、結婚してしばらくすると、その存在は薄くなっていってしまうのです。

なんで?

自分がテーマにしている自分のテーマと、相手のテーマが変わってしまうからです。

例えば、同じ経済というテーマを持っていても、共有できないのです。

それは結婚すると家庭がテーマであり、自分個人のテーマではなくなっていくからです。

だから、それまでが同じ共通のテーマを持ち、議論、探求ができる仲間なのです。

そのスタートが中学です。

それを、中学、高校、大学、社会人の間、そういう相手とやるべきことは、探求ということです。

人生にとって、歳を取るほどに大事なのは、探求です。

一人でやることの限界があります。

だから一つのテーマで、何人か寄って探求を深めるということのトレーニングをする仲間としての友達が、とても重要なのです。

友達がいなければ探求は進みません。

ひとり勝手にならないように、複数の同志、仲間と探求を繰り返すこと、これが、30歳を過ぎればものすごく重要になってくるのです。

中学の時は、自然に同じテーマに興味を持っている者同士が関わる、そんな同志を友達と呼ぶのです。

今、友達と呼べる相手の中にも、本当の友達と言える相手、友達になりたての相手、そんな理由で友達にも種類があるということです。

自分にとって大切な友達とは、どういう相手なのか。

そんなことも考えられる時期なのです。

真の勉強と進学:自分の意志で人生を切り拓く

勉強とは、小学校、中学校、つまり「学校で勉強する」。

これは、ひとつの述語として普通に使われています。

それが罠であることに、気付いていますか。

「学校で勉強する」―つまり、「学校」という存在の上で勉強する。

これが意味するものは、考えてみてください。

それをしようとしている、そういうシステムを作っている主宰者の意図の上で指導するものを、勉強と言っているのです。

学校を創っているその主宰者のいいなりな学習、スキルを高める、さらに競争するということを、学校で勉強しているということです。

それを知って欲しいのです。

そういうものを、あなたは必要としていますか?

自分が学びたい、スキルを高めたいというものがあるのであれば、それをやればいいのです。

それをやらないで、小学校の時から習慣になっている学校に行くことに、何の意味があるというのでしょう。

学校に行って友達と遊ぶ、友達とお弁当を食べる、そういった楽しみと、学校に行って勉強をするということを、同じ並びにしているのです。

そうして、いつの間にか、「勉強」で勝ち取った人間が、高校、大学に進んでいくのでしょう。

戦後、それまで少なかった企業や会社、大学が増えてきました。

日本が経済的に強くなり、大学を出、その企業で働くことでお金が入る、そんなラインが出来てきました。

戦後の混乱しているときに朝鮮戦争で日本は豊かになりました。

自分で起こしたわけではなく、フロックで豊かになりました。

その勢いで、国と民間が協力し、会社を沢山つくり、必要な人材、優秀な人間を育てるシステム—大学を創ったのです。

最初から、企業がありきの大学であり、学問ありきで創られたわけではないのです。

中進国家、後進国家は、経済を大きくするために優秀な人材を育てようと創った大学は、最初からあったわけではありません。

日本では、平安時代末期から江戸時代まで、民間において寺小屋というものがあり、教育という面ではそんなシステムがありました。

戦後になると、そういう延長ではなく、企業に就職するための人材を養成するところとして、大学が沢山創られました。

そして、権威あるものとして考え出された、支配者の代わりに民間人をコントロールするための医療システムとしての医科大学が、盛んに創られました。

特定の人が豊かになるためのものであって、国民のためではなかったのです。

日本人の幸せ度は、世界で下の方に位置しています。

日本の支配者は、国民のためにやっているのではありません。

国民のためにやることは許されないのです。

上には米国がいて、日本の政治家がどうのこうのできるものではないのです。

米国が決めたこと、認めたことしかできない、日本はそんな特殊な国なのです。

そんな国においての学校とは?

そんな“従”で生きる人間を養成するところなのです。

そんな学校という仕組みに囚われない「勉強」というものがあるのです。

それは、自分という存在を確認し、高め、共有することを目的に行うもの。

映画や演劇、音楽鑑賞、社会の出来事、世界の出来事、政治、経済、歴史や地理、歴史的人物等について、積極的に探求、探索を行うというものです。

中学校で当たり前だと思っている勉強は、それとは全く関係のないものなのです。

支配者の都合で、なんとでも内容を操作できるように、指導しているのです。

3年生という時期は、自分、異性、友達、勉強というものが何なのか、分かってきてもおかしくない時期です。

“元”からのゆらぎ—情報―サイン—つまり、“いい感じ・気持ちいい”。

自分の存在と、“元”を繋ぐライン—自分の中にある“いい感じ・いい気持ち”をどれだけ高めたか、1年生、2年生の時にどれだけやってきたかが大事なのです。

それを高めるのが3年生です。

進学―迷わず、確信を持って

1年生、2年生が終わり、3年生になった時、進学へ向かうのか、自分を知る、自分を高めるという方向へ向かうのかが問われます。

親から、学校から、社会から、自分に向かって圧力を感じる時期です。

親、学校、社会は、自分達の都合以外にテーマを持っていません。

そんな圧力は、20~25歳頃にはほとんどなくなります。

あの勉強や進学は一体何だったのか? となるでしょう。

周りは一切責任を持ちません。

責任を持てないものを、君に押し付けていたのです。

親や学校の先生、社会は、教育されてきたのです。

多くの親や学校の先生も、自分を見失っているという現象がここにあります。

自分に関係のないものに対して圧力をかける。

それがヒエラルキーやマウント、経済や資格、立場というもので、社会や先生や親はやってきます。

彼等は、“自分”を育ててきていないのです。

本来の自分にとって必要な勉強をしてきていない人達なのです。

というふうに思えるかどうかが、次の進学にもかかってきます。

それを見失った人、圧力に負けた人に、高校進学、大学進学という道が用意されているのです。

進むのであれば、確信を持つことです。

自分を持たない親や、先生や、社会の意向に沿って、迷わずに進学することです。

全て自分で決める以外にないということです。

にも関わらず、大学を卒業した後は、多くの人が自分放棄―社畜になっていきます。

それを止められるのが、この中学生の時期なのです。

中学の時に分からなかった人は、さらに3年間、無駄な時間を過ごさなければならないシステムになっているのです。

高校が用意されています。

高校進学の圧力がかかるのです。

自分で確信を持っていないために行かなければならない。

自分を育てようとする人にとっては、無駄な3年間です。

この3年間は、人生を変える大事な3年間なのです。

自分に対して責任を持ち、自分を信じることです。

自分の人生は、自分で納得できるものにすることです。

そのためにも、自分の脳の情報を読めるようになることです。

そんな技術である『読脳』を指導します。

読脳のフリースクールに参加しましょう。

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中学は人生の中で、最も感受性が高い時期です。

本当に、大事にしたい3年間です。

分かってもらいたいと思うことがたくさんあります。

分かってあげたいと思うこともたくさんあります。

それなのに、なかなかうまくいきません。

気持ちはいっぱいあるのに伝わらない。分からない。

友達になろうと思って努力するが、うまくいかない。

もどかしい。色々なことに興味、関心があり、気が多い自分を責めたりもする。

何一つ、確信が持てない。

両親のこと、兄弟のこと、勉強のこと、友達のこと、それ以外にも色々あると思うが、明確にそれが何なのか分からない。

小学生の頃とは、まるで違う。

と言って、大人でもない。

本当に中途半端な立場、存在。

なかなか勉強にも集中できない。

こんな勉強が、大人になって必要になるのか。こんな勉強が、自分にとって必要なのか。

そんなこと、誰が分かるのか。絶対必要なものとは思えない。

もっと他に大切なこと、大事なものがあるのではないか。でも分からない。

二年生にもなれば、友達付き合いが大切になってくる。

皆、同じようなことで悩んでいるのだろう。

しかし、中には思いもしなかった事柄、内容で悩んでいるクラスメイトもいる。

そんなこと、相談されても全く答えようがない。

実は、そんなクラスメイトが何人もいる。

みんな同じようなものと思っていたが、実際はいろいろだ。

いろんな家庭、いろんな家族、いろんな事情、いろんな生い立ち。

一年生の時にはなかった。二年生になった途端、そんな話や相談を受けるようになった。

自分が急に、大人になったような気になる。

ますます親にも、兄弟にも話せないことが増えていく。

秘密が増えていくような気がする。勉強にも集中できない。他のみんなもそうなのだろうか。

両親から「勉強しろ」と言われる。

意識する異性も現れた。一年生の時から気になっていたが、今ははっきりと意識している自分がいる。

そんなこともあり、学校へ来るのは楽しい。

あちこちでそんな話題が上がっている。結構、皆も同じような気持ちでいるんだ。

考えること、思うこと、やることがいっぱいある。

時間が足りない。睡眠時間を減らす以外にない。

そんなこんなをやっている間に、三年生になった。

途端に進学、進学と言われるようになった。

もっと二年生の時のような生活がしたい。

胸がドキドキするような、冒険がしたい。

でも、そんなことを言っていられない。受験勉強だ。

人生にとって一番大事な時期を、受験勉強に時間が取られてしまう。

自分にとって何が一番大事なのかを考えたり、

人間の成長にとって大事な友人と議論をしたり、

情緒を豊かにするために自然と交わったり、

映画、演劇、音楽鑑賞、社会の出来事、世界の出来事、政治、経済、歴史や地理、人物に対しても関心がある。

やりたいことがいっぱいある。

そんなことにも関心がなく、友達もいない。

議論するような関心のあるテーマもない。趣味も、興味の持てるものもない。

そんな人は、学歴でしか他人に太刀打ちできないと考えるようになるのです。

また、そんな人は親から、周りから、お金を稼げなければ、一人前じゃないと吹聴され、何も考えることなく、受験勉強に邁進するのです。

実は、そんな人の方が多いのです。約80%がそうです。中学生にして、そうです。

自分が何をやりたいのか。何に向いてるのか。そんなこと、分からない。

現実の社会は、「社会人になって食えるようになれ」。こんな考えの人が、社会を作っているのです。

そして、今の社会は、未来も夢も希望もなくなっているのです。そんな人になるために、受験勉強するのか。

多感な中学時代を過ごし、さらに進学したいという人にとっては、それほど受験勉強は苦にならないでしょう。

もっとも、高校には色々あります。全日制、定時制、専門学校と、学校教育に疑問を感じ、校則に縛られることが受け入れられないというのであれば、無理に全日制に行く必要もないでしょう。

将来を考えて、高卒の資格だけでも取っておきたいというのであれば、定時制で十分です。

日中は自分のやりたいことができるのですから、定時制卒業だからといって、差別を受けることもありません。

どこの高校を卒業したのかというような質問は、ほとんどありません。

自分のやりたいことがあるのであれば、それを最優先に考えることです。

やりたいものを持っていない人が全日制の学校に行くのです。

もっと自分の人生、時間を大事に考えて決めることです。

くれぐれも親の言うこと、先生の言うことに、社会の慣習に、振り回されないことです。

このように、中学時代は人生で最も大事な時期なのに、高校進学のための受験勉強に追いやるというのは、国は何か別の目的があるのかもしれませんね。

国は、そんな多感な時期に自己形成に集中することを由としていないのです。

無駄な時間を過ごさせることを、国民に押し付けているのです。

心豊かに情緒を育てたり、友人や家族のことを考えたり、これまでの自分を顧みたり、近い将来、遠い未来を考えたり、異性のことを考えたり、恋をしたりする最もいい年頃です。

高校は、子供から大人に変わっていく変わり目です。

この時期を上手に過ごすことができるかできないかは、人生にとって大きな差となって必ず現れます。

その上で、高校に進学するのか、さらに大学まで進むのか。その目的は、その理由は、を十分に考えることです。

それを十分に行わないことで、無意味な高校、大学進学になってしまうのです。

一年浪人してでも進学するか、中卒で社会に出て、やりたいことをやるのか。

たとえ高校に進学しても、大学進学はしない。あるいは、はっきりした目的を持って大学、学部を選ぶことです。

そんなことも、この時期にやることです。

親や先生は急き立てるかもしれませんが、自分をしっかり持って、自分の望みを達成することです。

それによって、中卒で社会に出るにしても、高校進学するにしても、高卒で社会に出るにしても、全て自分の意志で決めたということにするべきです。

これは、それ以後の生き方に大きく影響します。

この時期だからこそ、自分をしっかり持つことです。

中学を卒業したら、迷わない自分の人生を生きることです。

現実の社会では、自分の人生を確信を持って生きている人は、ほんの僅かです。

なんで、どうして?

多分、この一番大切な中学時代を「無のもの」にし、無気力や自信のない人間を育てるというのが国ー米国の目的なのかもしれません。

国が必要としているのは、結局、奴隷や家畜です。

戦後の日本をいかにダメな国にするのかが、連合国の目的でしたから、その計画通りの教育を戦後から現在までの約八十年間、指示された通りに行ってきた結果が現在です。

そんな片棒を小学校の先生、中学校の先生、高校の先生、大学の教授までもが、担っているのです。

実は、そんなことも知らない先生も多いのです。

親もそうです。知らない、分からないのです。

そんな周囲の大人たちに振り回される必要はないのです。

自分の人生、自分に責任を持って生きることです。

親も先生も、あなたの人生に責任を持ってくれません。

今、気づくことです。本当を知っているのは、あなたの脳の中にある、あなた自身の『元』からの情報だけです。

何があろうが、どんなことを言われようが、自分のことは自分で責任を負う以外にないのです。

あなたの人生は、あなた以外の人間が入り込む必要はないのです。

そのためにも、自分のことは自分自身が全責任を持って考え、決定することです。

自分って?

自分って何?

それが分からない。

自分って分かるものなのなのか。

分からなければならないものなのか…。

相手も自分があります。

自分が関わっている相手も自分があります。

その相手は、自分をもっているのでしょうか。

相手と関わる自分は、どんな人間でなければいけないのでしょうか。

自分ひとりであれば…。

相手が目の前にいる時、自分はどうすればいいのでしょう。

それは責任が発生します。

人と向かい合った時に、責任が発生するのです。

自分って……?

どんなに考えても、自分が分かっている自分しか出てこない。

相手が自分を観た時、自分が思っている自分と違う自分を言ってきます。

10人の相手が目の前にいる時、自分は自分が思っている自分でいいのでしょうか。

相手が思っている自分のこと、そんな相手が10人いれば、10人みんな違うことを思っているでしょう。

そんな相手と同時に関わる時、いったいどれが自分なのか。

Aが勝手に思っている自分のこと。

また、Bが思っている自分のこと。

自分はいったいどんな自分で相手と関わればいいのか。

自分って何…? ますます分からなくなる。

子供の頃から、なんとなくそんなふうに育てられたのだと思います。

間違いなく、混乱する教え方、育て方、混乱させるための教育、指導に他なりません。

みんなが混乱します。

みんながみんな混乱すれば、支配者はやりやすいのです。

そんな混乱を狙って、そんな教育を保育園、幼稚園、小学校、そして中学も、高校も大学もやっているのです。

小学生から中学生になった君に、気付いてほしい。

この問題を真剣に考えてほしい。

みんなが思っている自分は、はたして本当の自分なのでしょうか?

じゃあ、みんなは自分の何を観て自分のことを、こうだ、ああだ、と思っているのでしょうか。

わからない。

そんな確信ももてない。

それに振り回され、混乱し、悩んでいるというのがこの中学の時期です。

中学は自分スタートの時です。

つまり、混乱をもつ時なのです。

思春期が始まった時、これは“元”―無が無でなくなり有になった瞬間の情報から、子供から大人になるサインが、女子は生理という形で、男子は夢精という形で、肉体から始まります。

そして中学は、心、精神を育てる時期です。

そういう意味において、答えというものは用意されていないのです。

妥協して分かったつもりで、人から言われる自分を自分なんだと思ってしまったり、勘違いしたり、
悩んだり……。

それでいいの? いったいどれが自分なの?

自分で探す自分。相手があっての自分。

相手がたくさんいると、いろいろな自分が出てきます。

そんな、いろいろな相手が言う自分を平均したものを自分と考えますか?

そんなものはナンセンスです。

だから、この時期は一生懸命考えることです。

混乱しながら、一生懸命考えることがこの時期にやることです。

だから、分からなくていいのです。

異性―どう捉えればいいのか

我々人類は、男と女しか存在していません。

見た目の上で、男と女、二種類しかいません。

一方が自分で、片方が異性です。

その異性をどう捉えるのか。

例えば、同性であれば、その相手は自分と同じ―共通というものがあります。

ここではじめて、異性というのはまったく違う相手だということです。

同じ人間でありながらまったく違う異性。ということがいつ分かるのか。

これが実際に難しいことなのです。

人生をかけて、100年をかけてそれを掴む。

それほどに異性というのは、どう捉えていいのか分からないものなのです。

それを掴んだ人は数少なく、ほとんどの人が掴めないまま人生が終わってしまうというのが現実です。

これを中学生に求めるのは、酷かもしれません。

それは、既に異性とは、赤ちゃん、幼児から、さらに保育園、幼稚園、小学校と成長しながら異性と触れ合っています。

にも関わらず、この時小学校の2年生とするならば、生まれてきてまだ8年という中で、自分のことさえもまだ分からない、確信もないという状態です。

そんな状態で、自分とまったく違う異性というものを分かろうとすることは無理な話です。

男も女も、両方で異性のことが分かりません。

だからこそ興味を持ちます。

男も女も異性に対して興味が尽きません。

その興味の中で、異性と関わっていくのです。

その関わり方は、小学生から中学生にかけて、子供から大人という変化の中で、異性を捉えていくものです。

それが中学生です。

子供ではない、子供から大人になっていくというその中で、どう相手に対して興味を持てばいいのか。

それはみんな違うのです。

にも関わらず、現実社会は、男は女に、女は男に、興味の持ち方を押し付けています。

多くの男も女も混乱します。

みんな違っていいものなのに。

自分が男でありながら、男って何?

分からないのです。

相手は女でありながら、女って何?

女自身が、女って何?

分からないのです。

そんな者同士が異性として関わっているのです。

小学高学年から中学にかけて異性と関わります。

小学低学年で「異性と関わる」という表現はしません。

子供から大人としてのサインが出てきた男と女というのは、違う性に対して責任を持ちなさいと、それは異性として意識するように、社会から、大人から求められているものであり、“元”からみた時には、異性とかそういう表現は必要のないものです。

同時に、男、女というのもあまり意味がないのです。

だから今の時代、LGBTQという表現もあるように、いろんなカタチの性があります。

今の時代そういう考え方が定着し、否定するものではありません。

“元”は、男と女しかない、というものではないのです。

体の形で見た捉え方は“元”にはありません。

一方は、卵巣があり子宮がある―それは子供を宿し、子供を産む種類。

それに関わって、両方が関わることで子供ができる―そのための一方。

この二つがあることで、この地球が、地球に発生した生物が、全てこのパターンで成り立っているのです。

人間だけではありません。

植物、動物、すべてに異性の存在があります。

人間で言う「男と女」とは違う性があります。

なんであるのか?

それぞれの種が発展する上で必要だったのです。

「無が無でなくなり有になった」ということとまったく同じことなのです。

一番最初の“元”―無が無でなくなり有になった意味・理由・必要と同じ。

人間においても異性というものがある。

これがスタートです。

みんなが意識する「好き」、「嫌い」。

それは気持ち、感情から出てくるもの、育ってくる環境の中でできあがっていくものです。

みんなが意識しているものは、教育や環境、社会的な影響の結果で、それは環境や、年齢や、状況が変われば変わっていくものなのです。

だから、その時に異性に対してもったものも、変わっていくのです。

変わっていくのが自然なことなのです。

一番最初の性は、何年経とうが変わることはありません。

異性に対する感情、気持ちというものは、地球に生きるということで起こる現象です。

無が無でなくなり有になり、そして同時に“ゆらぎ”が発生し、宇宙をつくり、地球が、生物が、そして自分が誕生しました。

“元からのゆらぎ—情報”は、直接脳に入るもの、体を支持する支持骨から入るもの、二つに分かれます。

“支持骨から入るゆらぎ”は、感情や気持ちをつくります。

“直接脳にはいるゆらぎ”は、真理を、それが精神をつくります。

そして、感情と気持ちと精神が混ざりバランスをとるのが心です。

それが異性に対して反応するのです。

にも関わらず、脳に直接入ってくるゆらぎ—“元”の真理、つまり精神は、感情、気持ち、心の影響を受けません。

個体において、精神はぶれることはないのものなのです。

だから異性に対して、どう捉えればいいのか、どう関わればいいのかが分からなくても、精神が育っていれば、振り回されることはないのです。

つまり異性の捉え方は、精神の中にあるのです。

そして、異性をどう捉えればいいのか、どう関わればいいのかは、脳の情報を読むことができれば分かります。

分かりたいのであれば、脳の情報を読む以外にありません。

友達―この時にこそ大切な存在

小学校、中学校、高校、大学、20代の頃の友達というのは、物凄く大切な存在です。

それは、親よりも、兄弟、姉妹よりも。

それなのに、30代、40代、50代……歳を取っていくと、友達がいなくなってしまう…というのが今の社会の現象。

社会的にそうなのでしょうか?

日本独特の現象なのでしょうか?

他の国では、日本ほど明確になっていないと思います。

友達というものは同士です。

異性であったとしても同士です。

では、同士とは?

それは、ひとつの目的、ひとつのテーマを共に闘う、共に向かう、そういう相手を同士と言います。

友達というのは、そういう同士であるものです。

この中学の時の同士―友達とは、つまり自分のテーマ、を共有できる相手です。

ということは、そういうテーマを持っていない人は、友達、同士がいないのだと思います。

幼友達とは違う、中学以降できる同士としての友達。

中学の時は、「自分って何?」これが大きなテーマです。

それを知りたいというそういう方向性、エネルギーを持っている人は、同じエネルギーを持っている相手は探しやすいと思います。

これは異性とは違うものです。

そんな友達は、中学、高校、大学、社会人、そして結婚するまで、そんな相手として関われます。

しかし、結婚してしばらくすると、その存在は薄くなっていってしまうのです。

なんで?

自分がテーマにしている自分のテーマと、相手のテーマが変わってしまうからです。

例えば、同じ経済というテーマを持っていても、共有できないのです。

それは結婚すると家庭がテーマであり、自分個人のテーマではなくなっていくからです。

だから、それまでが同じ共通のテーマを持ち、議論、探求ができるのです。

そのスタートが中学です。

それを、中学、高校、大学、新社会人の間、そういう相手とやるべきことは、探求ということです。

人生にとって、歳を取るほど大事なのは、探求です。

一人でやる限界があります。

だから一つのテーマで、何人か寄って探求を深めるということのトレーニングをする仲間としての友達が、とても重要なのです。

友達がいなければ探求は進みません。

ひとり勝手にならないように、複数の同士、仲間と探求を繰り返すこと、これが、30歳を過ぎればものすごく重要になってくるのです。

中学の時は、自然に同じテーマに興味を持っている者同士が関わる、そんな同士を友達と呼ぶでしょう。

今、友達と呼べる相手の中にも、本当の友達と言える相手、友達になりたての相手、そんな理由によって友達にも種類があると思います。

自分にとって大切な友達とはどういう相手なのか。

そんなことも考えなければいけない時期なのです。

勉強―何のための?

勉強とは、小学校、中学校、つまり「学校で勉強する」。

これは、ひとつの述語として普通に使われています。

それが罠であることを、気付いていますでしょうか。

「学校で勉強する」―つまり、「学校」という存在の上で勉強する。

これが意味するものは、考えてみてください。

それをしようとしている、そういうシステムを作っている主催者の意図の上で指導するものを、勉強と言っているのです。

学校を創っているその主催者のいいなりな学習、スキルを高める、さらに競争するということを、学校で勉強しているということです。

それを知って欲しい。

そういうものを、あなたは必要としていますか?

自分が学びたい、スキルを高めたいというものがあるのであれば、それをやればいいのです。

それをやらないで、小学校の時から習慣になっている学校に行くことに何の必要があるのでしょうか。

学校に行って友達と遊ぶ、友達と弁当を食べる、そういった楽しみと、学校に行って勉強をするということを、同じ並びにしているのです。

そうしていつの間にか、勉強で勝ち取ってきた人間が、高校、大学に進んでいくのでしょう。

戦後、それまで少なかった企業や会社、大学が増えてきました。

日本が経済的に強くなり、大学を出、その企業で働くことでお金が入るラインが出来てきました。

戦後の混乱しているときに朝鮮戦争で日本は豊かになりました。

自分で起こしたわけではなく、フロックで豊かになり、上手くやろうと考えたのでしょう。

その勢いで、国と民間で協力し、会社を沢山つくり、必要な人材、優秀な人間を育てるシステム、大学をつくった。

最初から、企業がありきの大学であり、学問がありきでつくられたわけではないのでしょう。

中進国家、後進国家は、経済を大きくするために優秀な人材を育てようとつくった大学は、最初からあったわけではありません。

日本では、江戸から明治の頃まで、民間においては寺小屋というものがあり、教育という面ではそういうシステムはありました。

戦後になると、そういう延長ではない、経済、企業に就職するための人間を育てるところとして大学がつくられました。

そして民間において権威があるものとして考え出したのが、支配者のかわりに民間人を支配するための医療システムです。

特権階級が豊かになるためであって、国民のためではないのです。

日本人の幸せ度は、世界の中で、下の方に位置しています。

日本の支配者は、国民のためにやっているのではないのです。

国民のためにやることは許されないのです。

上には米国がいて、日本の政治家がどうのこうのできるものではないのです。

米国が決めたこと、認めたことしかできない、日本はそんな特殊な国なのです。

その国においての学校とは?

そんな“従”で生きる人間を養成するところなのです。

そんな学校という仕組みに囚われない「勉強」というものがあります。

それは、自分という存在を確認し、高め、共有することを目的に行うもの。

映画や演劇、音楽鑑賞、社会の出来事、世界の出来事、政治、経済、歴史や地理、歴史的人物等について、積極的に探求、探索を行うもの。

中学校で当たり前だと思っている勉強は、それとはまったく関係のないものなのです。

3年生という時期は、自分、異性、友達、勉強というものが何なのか、分かってきてもおかしくない時期です。

“元”からのゆらぎ—情報―サイン—つまり、“いい感じ・気持ちいい”。

自分の存在と“元”と繋ぐライン—自分の中にある“いい感じ・いい気持ち”をどれだけ高めたか、1年生、2年生の時にどれだけやってきたかが大事なのです。

それを高めるのが3年生です。

進学―迷わず、確信を持って

1年生、2年生の結果、3年生になった時に、進学の方向に行くのか、自分を知る、高める方向に行くのかが問われます。

親から、学校から、社会から、自分に向かって圧力を感じる時期です。

親、学校、社会はそれ以外にテーマを持っていないから圧力をかけてくるのです。

そんな圧力は、20~25歳にはほとんどなくなります。

あの勉強や進学はいったい何だったのか? となるでしょう。

周りは一切責任を持ちません。

責任を持てないものを君に押し付けてくるのです。

親や学校の先生、社会は、教育されてきたのです。

多くの親や学校の先生も、自分を見失っているという現象がここにあります。

自分に関係のないものに対して圧力をかける。

それがヒエラルキーやマウント、経済や資格、立場というもので、社会や先生や親はやってきます。

みんなといえば、自分を育ててきていない。

本来の自分にとって必要な勉強をしてきていない無知な人達。

というふうに思えるかどうかが、次の進学にかかってきます。

それを見失った人、圧力に負けた人に、高校進学、大学進学という道が用意されているのです。

進むのであれば確信を持つことです。

自分を持たない親や、先生や、社会の意向に沿って迷わずに進学することです。

全て自分で決める以外にないということです。

その最初が、この中学生の時期なのです。

それが中学の時に分からなかったという人は、あと3年間無駄な時間を過ごさなければいけないシステムになっています。

高校が用意されています。

高校進学の圧力がかかるのです。

自分で確信を持っていないために行かなければならない。

自分を育てようとする人にとっては無駄な3年間です。

この3年間は、人生を変える大事な3年間なのです。

自分を自分で確信を持ち、自分を信じることです。

自分の人生は、自分で納得できるものにすることです。

そのためにも、自分の脳の情報を読めるようになることです。

そんな技術である『読脳』を指導します。

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知りたい!『読脳』自分育て

※この2つの教材は、クラス参加の事前学習用教材にもなっています。

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家族で学ばれることをおすすめします。
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料金24,000円
①受講料は、初回分と残り回分に分けてお支払いできます。
初回 4,000円

②初回参加し、納得されましたら、残りの受講料をお支払いください。
残回分 20,000円
初回支払方法DOKUNO SHOPにて初回受講チケットをお買い求めください。
日程月2回・下記の開講日程をご覧ください
受講方法河口湖校での教室受講(4月~10月)またはZOOMでのオンライン受講
講師伊東聖鎬
対象一般(※1)
(※1)対象の区分について

対象者区分が「一般対象」と表記があるクラスは、本人またその家族が自分で問題解決できるよう指導することを目的としており、プロフェッショナルな能力を身につける場ではないため、下記の職業に該当する方は、お申込みできません。

(1)医療従事者、治療家、セラピスト、カウンセラー、エステ、コーチ、トレーナー、プラクティショナーなど人へのケアや相談を生業にしている人
(2)講師(食養指導、健康指導、体操指導、幼児教育、自己啓発 その他)、指導を生業にしている人

ただし、ご事情によりどうしても受講をしたい場合は、例外を認める場合もございますので、お問い合わせください。
万一、職業を偽って受講していることが発覚した場合、直ちに受講資格を失格します。受講料の返金はありません。

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Q.事前学習はなぜ必要ですか?

当スクールは、受講者一人ひとりが求めていることに対して、脳の情報を読み出しながらコミュニケーションする形で講義を進めていきます。そのためには、受講者がしっかりと自分と向き合えている必要があります。そのための事前学習です。

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※「開講ステータス」が未開講の場合は、開講になるまで、ご購入をお待ちください。

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③インターネット環境

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開始10分を過ぎると入室いただけません。10分以上遅れる場合は、別日にご参加ください。

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(受講料振込期限:初回受講後、7日間以内)

受講料のお支払いを2回に分けている理由

初回を受講して、万一思っていたものと違うと感じた場合は、以降の受講をキャンセルできるよう、お支払いを「初回分」と「それ以降分」に分けています。

受講に関するよくある質問〈受講される前に必ずお読みください〉

オンライン(Zoom)参加は、ビデオで顔を出しますか?

はい。脳と脳とのコミュニケーションを学ぶ場ですので、対面でのやり取りを前提としています。オンライン受講では、ビデオオンにしてご参加ください。マスク、サングラスはご遠慮ください。

YouTubeに顔を出したくないのですが…

世の中にはたくさんの情報が溢れていますが、本当に自分が求めている答えは、自分の脳の中にしかありません。そのことを必要としている人に知っていただくため、講義は録画し、後日YouTube等の動画サイト、HP、書籍等で配信する場合があります。活動趣旨をご理解いただき、広報や情報発信にご協力をお願いするとともに、受講の条件にしています。
ただし、どうしてもお顔を出したくない場合は、メインで映る場合のみ、マスキング加工も可能ですのでお申し出ください。

尚、現代医学・現代医療で良くならない病気・症状/不定愁訴/リハビリ/嚥下障害/噛み合わせのクラスはマスキング加工の対象外です。

※いずれのクラスも、視聴者限定(受講者限定)の授業収録ビデオのマスキング加工はいたしかねます。

開始時間に遅れる時は、途中から参加できますか?

最初から話を聴かないと、内容が理解できないということが起こるため、開始時刻10分以降の参加はお断りしています。開始時間に間に合わない場合は、TEL: 080-5448-5493に必ずお電話いただくとともに、次回の講義にお振替えください。

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赤ちゃん・幼児クラスの場合
参加者一人ひとりと向き合って読脳コミュニケーションを行いますので、子どもに気を取られてしまうと、コミュニケーションの内容が分からなくなるということが起こります。そのため、お母さん・お父さんのみでご参加ください。

小学生以降のクラスの場合
親がいることで、子どもが親に遠慮して自分の情報を発信できないことがあります。そのため、初回は親子一緒に参加され、講義の様子が分かりましたら、2回目以降は別々の回に参加されることをおすすめします。

その他のご質問に関してよくある質問をご覧ください。

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