MENU
『個』を生きるか,それともその他大勢で生きるのか―本来の自分を生きるための『読脳』

Ebook CW読脳セラピストへの道(プリントアウト用)

第1章 「人の役に立つ」とは何か

人の役に立ちたいという想い

セラピストを目指そうという人の中には、子どもの頃から「人と関わりたい、人の役に立ちたい、何か人に協力できる人間になりたい」と考えていた人が多いと思います。

自分の能力・技術を生かすことで人の役に立ち、人の役に立つことで、結果として自分の生活も成り立つ。

考えれば、これほど前向きな生き方が他にあるでしょうか。

「役に立つ」の勘違い

しかし、「人の役に立つ」ということがどういうことなのか、を知っている人は、ことのほか少ないのです。

逆に、勝手に「人の役に立っている」、「協力出来ている」と思っている人は多いのです。

どこで、誰に、教わってきたというのでしょうか。

親でしょうか。学校の先生でしょうか。それとも社会の中で、自分で掴んだというのでしょうか。

若ければ若いほど、勘違いします。

相手(本人)に確認したのでしょうか。

相手のどの部分のどこに役に立っているのかということを、認識しているでしょうか。

相手に関係なく、自分で決めたということでしょうか。

セラピストという資格の現実

「人の役に立つ」ことを、経済を得るための材料に使っているというものが、世の中にはいっぱいあります。

この「セラピスト」というのも、すでにそういうものだと社会は認知しています。

しかし、「人の役に立つ―セラピスト」というようなイメージを与えるようになって、それほど時間は経っていません。

多くのものが、相手不在というのが現実です。

「資格―セラピスト―人の役に立つ」

これは、企業が考え出した、お金儲けの手段の一つです。

資格があれば、お金が得られる。

セラピスト―技術を使って、困っている、求めている人からお金がもらえる。

どこにも「人のため」、「人の役に立つため」というものは、ありません。

お金を得やすくするための都合で言っているだけです。

それは、医師や歯科医師、その他の多くの治療者も同じようなものです。

事実、セラピーを行なって、トラブルが発生した時、そんな人達はどんな対応をするでしょうか。

敵・味方に分かれて、こじれるでしょう。

本当に、元々から人の役に立ちたいと考えていたのであれば、トラブルが起こった時こそ、その真価が問われるというものです。

相手を救う、守るのではなく、自分の身を真っ先に守る。

それが現実のようです。

人と関わるということは、何が起こるか分かりません。

善意で行なったことが、相手に伝わるかどうか。

そんなことが無いように、最初から料金を決めておく。

これは、商売以外の何ものでもないと思います。

資格ブームの社会背景

皆さんはご存知でしょうか。

世間で、「資格」、「資格」と言われ出したのは、どんなきっかけだったのか。

社会的な背景や時代というものがあるのです。

直近では、1990年代後半、つまりバブル崩壊後からです。

年功序列や終身雇用が崩れ、個人のスキルを客観的に証明する手段として、資格ブームが起きたのです。

実は、そんな「資格」が騒がれたのは、これまでも何度かありました。

それは、1945~1950年代、つまり戦後の混乱期の頃です。

そして、1965~1970年代、高度経済成長期の頃です。

そして、1990~2000年代、バブル崩壊後です。

成果主義の導入や就職氷河期を背景に、自己アピールの武器としての資格が必要と言われ出したのです。

そんな時期に、現在の「セラピスト」も登場したのです。

つまり、最初からお金を得るための資格であり、そんな仕事の呼び名としての「セラピスト」なのです。

だから、「人の役に立つ、人の協力をする」そんな考えは最初から無かったのです。

一部に「人の役に立つ」ということを売りものに、セラピーを扱い出した人がいて、それが現在に至っているということです。

だから「セラピー」と「人の役に立つ」は、何も繋がっていないのです。

セラピーには、病気や症状に対して行なうものがほとんどです。

それは、ギリシャ語の「治療」に由来しているからです。

そんな現在のセラピーや、それを行なう人のセラピストの位置付けは、現実的にどのように受け入れられているのか。

結局、日本ではお金を得るための技術をある一定の期間学んで、それを求める人に対して行なうというものになっていると思います。

第2章 『読脳』 誕生までの歩み

今回紹介する『CW Happiness Philosophy 読脳セラピスト』は、それ等とは明確に一線を画すものです。

最初に、『読脳』とは何かについて説明しなくてはなりません。

『読脳』は、私、伊東聖鎬が50年にわたる研究の中で開発し、世界35カ国で登録商標を得ているものです。

いじめから始まった探究

私は小学6年生の時、過酷な「いじめ」に遭い、入水自殺を図るも生還しました。

その後、どうして「いじめ」に遭い、どうして人は「いじめ」を行なうのかを知ろうと、高校を卒業すると同時に、全国放浪の旅に出ました。

それは、「30歳までに100の地域で100の仕事をする」という目標を立てての人生修行でした。

医療を志した理由

しかし、その途中、姉の娘(姪)が知的障がいと診断されたのをきっかけに、修業を一旦中止し、東京に戻りました。

それからは、姪の役に立とうと考え、医療の道を志しました。

治療家として見えてきた限界

昼間はトレーラーの仕事を、夜は生コントラックの運転をして、学費と生活費を稼ぎ、無事、鍼灸学校に入学出来ました。26歳の時です。

在学中から、リンパマッサージの創始者である紺野義雄先生の研究所、血液浄化運動―玄米菜食・自然医学の権威である森下敬一先生のお茶の水クリニックの物療科に3年、そして日本のカイロプラクティックの第一人者である塩川満章DCのスクールの第一期生として学びました。

しかし、それ等の治療法は、姪にはほとんど役に立ちませんでした。

『読脳』 誕生への道

そこで、「治療というものは、相手に関係なく、学校等で学んできた知識や技術を押し付けるようなものではない」という考えから、「求めている“目の前のその人(患者)”に対して、応えられてこそ、本当の治療といえる」ということを医療者に訴えようと、日本で最初のキネシオロジーの本と、治療家のためのドロップ療法の本の2冊を出版し、医師・歯科医師・様々な治療家を対象に、全国的にセミナーを開始しました。(1978年)

そして10年が経った頃、医療者は、 “目の前のその人(患者)”に対して本当に応えようとしていない、学んできたものをただ押し付けるだけの作業をしている人達ということが分かり、セミナーを終了し、再び全国放浪の旅に出ました。(これ以後のことは他の所でも説明しているので、そちらを読んで下さい)

そんな私は、今年79歳になりました。

約50年、医療者や、赤ちゃん、幼児、子供、中学生、高校生、19~80歳の人を対象に、セミナーや講演会を開催してきました。

第3章 現代医学では届かない領域

「人」を知らずに人には応えられない

その結果、言えることは、医療者も、セラピストもあらゆる相談を受ける人も、ほとんどが“目の前のその人”に対して、本当の役に立っていないということです。

“目の前のその人”のことを、どこで学んできたというのでしょう。

学校ですか。セミナーですか。書物ですか。

たった今、目の前にいる“この人”のことを、どうやって知ることが出来るというのでしょうか。

相手に関係なく、頭に詰め込んだ知識を、無理矢理押し付けるというのが関の山です。

治療、相談、医療関係、美容関係、人生相談、その全てが、適当で当てずっぽうです。

“目の前に居るその人”のことを、それまで少しでも、自分で知ろうとしたことがあるでしょうか。

赤ちゃん、幼児、子供、中学生、高校生、しかりです。

全年齢、さまざまな問題を抱えた人が、相手です。

そんな人が、社会の中で、どんな位置付けなのか。

どんな環境の中で育ってきたのか、生きてきたのか。

どんな仕事をしているのか。

どんな人間関係を持っているのか。

少しでも、現実にそんな人達と真正面から向かい合ってきたことがあるのか。

ただ学校やセミナーで学んだことをベースに向かい合い、押し付けているだけではないでしょうか。

私は、それ等の人達と何千回の場を持ち、「その人達の現状を知る」ために、コミュニケーションを行なって来ました。

「人の役に立つ」というのであれば、まず、相手のことを知ることです。

答えを出す前に、「相手本人が、勘違い、誤解」をしていることだってあるのです。

本当に正しい答えはどこにあるのでしょう。

30代、40代、50代、60代、何が分かるというのでしょう。

20~40代で、長年悩み苦しんでいた原因だと思っていたことが、若くて理解出来なくて、誤解していたということもあるのです。

40代、50代、60代で、果たして人の相談にのることが出来るのでしょうか。

人生の何を分かっているというのでしょう。

そんな人が「人の役に立つ」と言っているのです。

これが現実です。

病気・症状はサインである

人生は、少なくても75歳以上にならなくては、人生の半分も分かりません。

その人の死の直前の時、初めて、その人にとって何が良くて、何が悪かったのかが分かるというものです。

良い悪いは、人によって違うのです。

その人の死の直前から逆算して、現在のことが見えない限り、何が正しいのかは、分からないということです。

現代の科学・医学・心理学で、人の悩みや苦しみ、病気、症状の本態は分かりません。

過去を見れば、人類は700~800万年前に出現し、ホモ・サピエンスは20~30万年前に出現したとされています。

その人を知るには、そんな過去も参考になるでしょう。

しかし、人類はこれからも、何十万年、何百万年、何千万年、それ以上存在するかも知れません。

そんな人類が終わる少し前になって、「人類とはこういうものだった」ということが分かるのかも知れません。

その人の悩みや苦しみ、病気、症状の原因が、どうして体の中にあるといえるのでしょう。

人は、過去のことや、未来のことで、悩み苦しみます。

病気、症状の原因の中に、その人の悩みや苦しみの影響があることは、すでに知られています。

しかし、それが一体どういうものなのかは、未だ分かっていません。

記憶にもない、関わったこともない、見たこともない、考えたこともないようなことや、ものの影響が、無いとは言えないのです。

私が関わっている、また、専門としているのは、「現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状」です。

つまり、悩みや苦しみ、病気、症状は、何等からのサインだということです。

決して、現在のこととは限らないのです。

自分のことだとも限らないのです。

何処かからの信号であり、サインなのです。

そんな人と向かい合うということは、無限な可能性との出会いなのです。

どんな病院・治療院へ行っても良くならない、どんな治療を受けても良くならないという人、また病気、症状は沢山あります。

それは、科学や医学では良くならないということです。

どうして、そんな人や病気、症状が有るのでしょう。

ちゃんとした病名もあり、昔からある病気、症状も有るのです。

実は、そんな人や、病気、症状は、昔から有りました。

病気や症状は「サイン」です。

では、一体どんなサインなのでしょう。

私がYouTubeで紹介している動画(実例)を見て頂いたでしょうか。

体に触れてもいないのに、そんな人や、病気、症状が良くなっていくという事例が沢山あります。

私は、病院や治療院で良くなるような人や、病気、症状に対しては、関わりません。

何年も、何十年も良くならない、どんな方法でも良くならないという人だけが対象です。

そんな人は、日本中に、世界中に居ます。

そして、どうすることも出来ず、困っているのです。

そんな人を良くするということは、大変なことです。

私は、科学や医学に囚われていません。

良くなればいいのです。

そんな人達は、これまで医学の範囲の中で扱われてきたのです。

それでも良くならなかった、というのです。

そんな病気や症状には、原因があるはずです。

そんな原因が、現代医学では探し出せないということです。

血液検査も、CT、MRI検査も受け、その上で治療を受けたにもかかわらず、良くならないのですから。

そんなものを、どうして医学で良くすることが出来るというのでしょう。

それは、現代医学の目的や存在の意義が、ミスマッチだということです。

本当に困り、求めている人の脳の中には、原因も、また、どうすればいいのかのヒントも有るのです。

科学だけでは見えない原因

世の中の、全ての始まりというものがあります。

私は、それを“元”といっています。

宇宙も、地球も、その“元”があってこそ存在できました。

人間も同じです。

そして、人は地球に誕生したのです。

誕生した時は、何の問題も無かった。

そんな人が、不治の病だというのです。

赤ちゃんの時には何の問題も無かったという人が、そんな状態になっているのです。

そんな風になる原因は、赤ちゃんからそんな状態になるまでの間に、あるということです。

現代医学のように、体の中だけに原因を探すのではなく、赤ちゃんからそんな状態になった空間全てが対象です。

本人も気付かない、とっくに忘れてしまっていたことが、関わっていることもあります。

医学や心理学でも探し出せない原因は、実はいくらでもあるのです。

“人”は、それほどに扱いにくい存在です。

しかし、脳の中には、そのほとんどのヒントが有るのです。

「人」の専門家とは何か

医師や歯科医師、その他全ての治療者が、“人”の専門家ではありません。

何処で、“人”を知ってきたというのでしょう。

医療者になる前に、そんな“人”を研究してきたのでしょうか。

ほとんどの医師、歯科医師は、“人”については全くの素人ではなかったでしょうか。

では、医療を行なうようになって、“人”の研究者に、専門家になったというのでしょうか。

どんな医療者も、“人”の研究者、専門家にはなっていないと思います。

それは、40年、50年、患者と向かい合っても、結局“人”の専門家にはならないと思います。

医学の専門家であるのは、間違いないでしょう。

“人”は、家畜の牛や豚と同じと捉えているということでしょうか。

牛や豚は、個体を一括りと捉えて扱っています。

人も同じということでしょうか。

そんな医療者は、“人”を「医学」の中に当てはめて、そこからでしか“人”を見ていないのです。

“人”は、“精神”も、“心”も、“気持ち”も、“感情”もあるのです。

医療者は、その内のどれを知っているでしょうか。

多分、どれも知らないと思います。

何故なら、目の前の困っている、求めている人の話を、どれぐらい真面目に聴いてきたでしょうか。

たとえ聞いてきたとしても、形式的に1時間程度の話を聞いて、何が分かるというのでしょう。

もっとも、長い間、“人”を“人”として、興味・関心の中で研究してきている人にとっては、1時間の話の中でも、それなりの情報は得られる場合もあるでしょう。

しかし、医療者の中に、そんな人は居ないと思います。

病院や治療院のシステムが、それを許さないからです。

病院や治療院は、経営が第一です。

患者の数をこなさなければ、経営が維持出来ないという現実があるのです。

現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状が、決して難しい、難治な病気や症状という訳ではないのです。

そんな病院や治療院のシステムが、「現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状」にしているという面もあるのです。

人の病気や症状、悩みや苦しみ、困難などは、つまり、社会のあらゆる面に同様なシステムということの限界が原因になっている場合が多いということです。

それは、夫婦、親子という家族の関わりだったり、教育の場、システムだったり、会社、人間関係、経済のシステムだったり、その他社会のあらゆるそういう面が、人の病気や症状、悩みや苦しみを引き起こす原因になり得るということです。

難しい人間関係だけでなく、生きること、経済を得るということ、幸せに生きるということ、穏やかに生活するということ、それぞれが複雑に絡まっているのです。

そんなこと、家庭でも学校でも教えられません。

勢い社会に出ても、さらに複雑になるばかりで、何も身に付きません。

誰が、どんな人が、こんな社会の中で、幸せに、穏やかに、経済的にも、人間的にも、恵まれて生きているというのでしょうか。

そんな社会や人生の中で、健康に、明るく楽しく生きる方法など、どうやって身に付けられるというのでしょうか。

ほとんどの人が、うまく出来ません。

落ち込んだり、悩んだり、苦しんだり、絶望したりしているのです。

そんな状態を長く続けていては、体調も悪くなり、寝込みたくもなります。

人によっては、逃げ出す人もいるはずです。

子供の頃は、そうやっていたという人が居るはずです。

社会に出ても、年齢を重ねても、そこから抜け出せないという人は、結構沢山居るのです。

実は、そんな人が、現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状になっている場合が多いのです。

では、そんな人を、そんな状態から脱け出させるには、どうしたらいいのでしょう。

それは、“人”に興味・関心があり、“人”の幸せ、人生に協力したい、

積極的に“人”の研究をし、専門家になろうというぐらいの気持ちのある人が、そんな“人”と向かい合うことがベースだということです。

その上で、人の話が聴け、理解出来る、ということです。

そこまで出来て、初めて“人”の役に立てるスタートに立てます。

さらに、病気や症状は、他人が良く出来るというものではありません。

そんなこと、出来るものではありません。

にもかかわらず、出来るかのように装って院の看板を揚げ、商売を行なっている所のなんと多いことでしょう。

これも社会の(支配者による)システムなのです。

支配者にとって都合が良いシステムが、すでに完成しているのです。

そんな中で、人は生きていかなければならないのです。

それは、決して自然なものではなく、彼らの目的の上で完成された、管理社会の中のシステムです。

だから、幼い子や、少年、青年は、戸惑いの中で生きているのです。

彼等は、まだ、スレていないのです。

家族や周囲に守られて、すくすくと育ってきたのです。

スレる理由が無いのです。

しかし、現実に生きる社会は、スレ、スレで、誤魔化し、インチキ、出鱈目ばかりなのです。

そんな中で、幼かった、まだスレていなかった自分を守らなければならないのです。

しかし、誰も守ってくれません。

突き落としはしても、誰も救い出してはくれません。

そんな荒波の中に、突然追い出されるのです。

まだ揉まれていない精神や感情です。

壊れても、不思議はありません。

それを、寄ってたかって振り回すのです。

挙句に、自分には全く関係の無い、理論や技術や薬を使って、さらに落とし込むのです。

これが、私達が生きている社会という空間です。

そんな中で、誰がうまくやっていけるというのでしょうか。

お金を沢山持っている人が、うまくやっているといえるのでしょうか。

家庭が崩壊し、家族はバラバラ、お金でしか繋がっていないというような人が、幸せといえるでしょうか。

それは、社会的な地位を得ている人や、成功者と言われているような人も、皆が同様です。

第4章 CW Happiness Philosophy 読脳セラピスト

『読脳』とは何か

大事なことは、人に恵まれ、信頼され、人の役に立ち、豊かに楽しく人生を生きていることです。

それであれば、「幸せに生きている」といえるでしょう。

そんな考え、生き方が出来るのは、自分の脳の情報が読めるからです。

誰もが簡単に、脳の情報が読めるようになる訳ではありません。

ベースが必要なのです。

“人”に関心があり、愛情があり、“人”の役に立ちたいという気持ちがあることです。

さらに人生をどう生きるのが、自分の幸せに繋がるのかを知っていることです。

私は、そんな生き方をしてきて、今、幸せで人の役に立ちたいと活動をしています。

求めている人の中に、情報があります。

その情報が、何処にあるか分かりません。

それを私は、あえて「脳」と表現しているだけです。

「その人」は、決して肉体だけがその人ではありません。

もっと広く、深く、果てしないのです。

しかし、多くの人は、自分で限界を決めています。

それは教育です。

子供の頃から、自分に関係が無い、自分にとって必要も無い、そんなものを押し付けられてきたのです。

そして、“主”から“従”な生き方をするように教え込まれてきたのです。

全くの自由な人間が、家畜と同じような育て方をされると、委縮し、縮こまってしまいます。

同時に、本来の可能性も無くなり、肉体は、ただの肉の塊へと変化してしまうのです。

そんな人が多いのです。

人の役に立つセラピストとは

そして、そんな人は、病気や症状、悩みや苦しみを訴えるようになります。

そんな人の役に立ててこそ、「人の役に立てる」甲斐があるというものです。

それを解決出来る可能性は、常識に囚われず、無限の可能性の中で、探求する意志と意欲と、目的を持っていることです。

つまり『読脳法』とは、本人も意識していない何処かから自分に届く“自分の情報”を読み出す能力であり、技術のことです。

そして『CW Happiness Philosophy 読脳』とは、悩み、苦しみ、困難や現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状を良くしたいと思っている人達に、『読脳』を利用して役に立てようというものです。

本当の幸せとは

これは、真に自分の可能性の探求です。

そんなチャンスを、私は提供したいのです。

ヒントは、私が開催する各種のクラスの中にあります。

赤ちゃんから100歳までの人を対象にした各種のクラスに積極的に参加し、直接そんな人のことを知るために、本人に質問し、コミュニケーションを行なうことです。

是非、自分の真の幸せの為に『CW Happiness Philosophy 読脳』を学んで下さい。

『読脳』を学ぶ意味

相手のこともそうですが、一番役に立つのは、自分自身のことです。

一度身に付ければ、一生ものです。

それによって“唯一無二の自分の幸せ”とは何かを知ることも出来、その“幸せ”を、自分のものにするための方法も自分で掴むことができるのですから。

本来の自分育て
CW読脳フリースクールのご案内

いろいろなクラスに横断的に参加も可能です。たくさんの人の話しを聴き、「本来の自分育て」にお役立てください。

当書物の著作権は伊東聖鎬に帰属します。無断での転載、複製、改変を禁じます。

CW読脳フリースクール
山梨県南都留郡鳴沢村11403-20
front@cw-community.org
TEL 03-6555-4751

CW Happiness Philosophy 読脳・読脳法・DOKUNO
重力バランスシステム回復療法・重力バランス軸調整療法

支持骨-システム回復療法・浮き沈み回復療法
は、伊東聖鎬の登録商標です。