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『個』を生きるか,それともその他大勢で生きるのか―本来の自分を生きるための『読脳』

Ebook 難治な病気・症状へ取り組む(プリントアウト用)

第1章 現代医療への疑問

医療に対する不信感の芽生え

皆さんは、病院の医療や処置、また開業医の治療に対して、どんな印象を持っていますか。

信頼出来るから、任せっきり。

信用出来ないから、疑心暗鬼。

子供の頃は親から言われ、何の疑問もなく病院へ行き、医師の診察を無条件に受けていた。

年齢を重ね、時に病院に行くことがあるが、どうしても信頼出来ないというようになってきた。

実体験と周囲の声

なぜかと言えば、処方された薬がほとんど効かなかった。

結局は我慢し、時間が経ってなんとなく良くなった。

レントゲンも撮り、MRIもCTも撮った上で診察してくれたのに、結局後遺症になり、それ以来良くなっていない。

こちらが原因ではないかと思っていることを言う言言葉をさえぎられたり、思っていることが参考になるのではないかと言葉にすると機嫌が悪くなったりするので、何も言えない。

そんなことが度々あった。

自分だけではない。両親も兄弟も同じような体験をしているという。

友人、知人にも聞いてみたが、同様なことを言う。

そんなこともあり、よっぽどのことがない限り、病院や開業医、歯科医院の所には行かなくなった。

行ったとしても、どうしても斜めに構えるようになった。

子供の頃や若い時は、割と普通に病院や開業医の所に行っていたが、40歳を過ぎた頃からほとんど行かなくなった。

医師や歯科医師は、会話が出来ない、人の話が聞けない、聞こうとしない、からなのでしょう。

知人に聞いても同様で、行くとしたら、馴染みの治療院に行くと言う。

大方は、こんな感じではないでしょうか。

医療現場と国家の実態

それを反映して、病院は減少しているそうです。

一方、開業医は増加傾向にあるそうです。

これは厚生労働省の発表ですが……。

国の様々な発表には作為的なものが多く、実際の国民の意識等に照らして、かなり乖離しているものが多いのです。

勿論、意図的な操作を行ない、国民をコントロールしているからなのでしょう。

その結果、医療に対する国民の不満や不信は、一層増大しています。

医師の資質と教育の問題

医療は何が問題なのか?

何が一番問題なのかを考えた時、それは患者が直接接触する医師ではないでしょうか。

人生経験も乏しく、人間としてまだ未熟であり、医療の目的、患者と向かい合うということ、人の命を預かっているということの意味や重要性が、充分に理解出来ていないのでしょう。

医師・歯科医師のやる医療は、大学で学んだことを「ただ患者に押し付けるだけ」です。

患者と向き合って、患者が訴えていることを改善する、というようなことはできません。

それが基本です。

わずか6年くらいの学びで何が分かり、何が出来るというのでしょう。

卒業後、現場に立っても、現場がそんな有り様なのですから、患者が期待するような医師などに育つ訳がありません。

そんな人達が人の命を預かり、人生を預かっているのです。

患者が望んでいる、期待していることをしようとしていないということは、誰もがすでに感じ、知っていることです。

しかし、仕方ないのです。

医学部、歯学部に合格する人材として、最初からそんな医療を行うことに疑問を感じない、考えもしない人達を選んだということです。

弱者としての国民と西洋医学の本質

医療は、一般の国民が病気やケガをすれば、行かざるを得ない所です。

国民は、最初から弱者です。

病院・医師は、国から守られています。

国は国民に関係なく、やりたいようにやっているということです。

そんな人達が、さらに、まだまだ発展途上の医療を行なうのですから、良い結果が出ない、納得出来ない対応、後遺症が残るのも当然です。

そんなことは、日常茶飯事であり、特別なことではありません。

それを我慢して、病院・開業医の所に行かざるを得ないというのが現実です。

病院で行なっている医療―西洋医学は、患者のため、国民のために研究・開発されたものではなく、国民を管理、コントロールする上で便利なものとして、出来上がったものなのです。

年齢による意識の変化と民間医療の限界

人生の中で、子供の時、若い時は、「致し方ない」というものが多くあります。

しかし年齢と共に、「自分が納得出来るようにする」ということも出来るようになります。

それは、自分の気持ちを最優先できるようになるからです。

子供の頃は、両親や周囲に気を遣って遠慮したりしがちです。

お金も、自分の自由には出来ないという事情もあります。

大人になって、自分が稼いだお金なのだから、たとえ金額が高くても自分の納得できるようにしたい。

と思うようになるのは自然なことです。

その結果、自由診療や民間医療の選択肢も出てくるのです。

しかし、その民間治療院もまた、病院と同じようなことをしているのです。

だから、おかしい、納得出来ないというのはやはり減らないのです。

自分の経済力によって、国の政策の問題や現場の医師の質の問題をかなりクリア出来るようになったとしても、存在しているのです。

それは一体何なのか。

多くの場合、一般国民は気付いていません。

GHQによる歴史的背景と現代の医療者・教育者

戦後80年、国民のほとんどが、戦後のGHQの政策の下で行われて来た教育と、そして医療を受けて来ました。

決してGHQは、日本国民の為を思って教育・医療政策を行なったのではありません。

全くのその反対です。

日本を、日本国民を、「いかに駄目にするか」というのが一番の目的でした。

国民の人生や健康を駄目にするのが目的で、行われてきた医療と教育です。

国民のほとんどが、まさか病院や医師や一般治療院が、教師が、そんな風にやっているとは思ってもいないでしょう。

当の医療者や教育者達も、最初はそう思っていたでしょう。

しかし、長く医療や教育を続けていれば、「国民の健康や命を良くし、守る」「人を育てる」という医療や教育には、なっていないということに気付くはずです。

そんなこととは露知らず、「医師・治療家になろう」「教育者になろう」と、なった人は多いでしょう。

それなりの数の医療者や教育者が、それを知った時は、それなりのショックは有ったと思います。

「辞めるか、続けるか」悩んだ挙句、

「辞める訳にはいかない。親にも家族にも周囲にも、大きな迷惑をかけてしまう。それは出来ない」と、

そして「他の仕事よりは収入がいいのだから、辞めずに続けよう」と、結論を出して、また現場に戻って行ったのです。

多くの国民が出会う医療者や教育者は、そんな人達なのです。

言いたくとも言えない、それはお互い様です。

これが現実。現在も、実情は変わっていません。

第2章 現代医学と東洋医学の限界

現代医学(西洋医学)の定義と特徴

しかし、それとは違う、また別の問題があるのです。

それは、現代医療の限界です。

病院で行なう医療、つまり現代医学は、科学的な根拠(エビデンス)に基づいて、病気の原因や患部を特定して行なう医療で、薬物療法、外科手術、先端テクノロジーを駆使し、世界中で実践されている西洋医学です。

実際の治療においては、症状や経過、及び、バイタルサインといわれている血圧・脈拍・体温・診察で得られた所見、血液検査、レントゲンなどの画像診断機器等を用いた検査の結果で疾患を決定し、原因と特定したものに対して薬物を投与します。

つまり、現代科学を根拠に原因を排除することを、治療と言っているのです。

西洋医学と東洋医学の比較

しかし、そんな現代医療の問題点は、すでに久しく指摘されて来ました。

それは専門化が進んだ結果、病気や患部にばかりに集中し、患者の生き方や心、生活の背景という守備範囲がなくなったのです。

そんなこともあり、近年は病気の治療だけに目を向けるのではなく、生活のQOLの向上も考えなければならないということになり、東洋医学の鍼灸や漢方などの伝統医学も取り入れた、統合医療という考え方も出て来たのです。

現代医療(西洋医学)と東洋医学の違いを考えてみると、体の治し方があります。

例えば、車の走りが悪いとします。

それは、エンジンオイルの問題でした。

オイルが少な目だということが分かりました。

西洋医学では、原因が分かったので、オイルを追加しました。

それで以前と同じように走り出せば、治ったということです。

東洋医学では、なぜエンジンオイルが減ったのかを考えます。

エンジン外部へのオイル漏れなのか、エンジン内部でのオイルの燃焼なのかを突き止めなければ、オイルを追加しても、また同じことを繰り返します。

東洋医学では、本当の原因を探し出し、それを改善することを目指します。

まず、オイルが外部に漏れているかどうかを確認するのです。

次に、エンジン内部でオイルが燃焼しているかどうかをチェックします。

それ等を確認し、問題箇所を修理することで、治ったと考えます。

つまり、西洋医学は即効性を追究して対処するのに対して、東洋医学は原因まで追究して対処しようとするのです。

さらに、スタンスの違いもあります。

西洋医学は、明確な症状が出ていたり、原因がはっきり分かっている病気に対しては、薬を使ったり、手術を行ないます。

東洋医学は、原因が分からないけど体調が悪いなどの症状や病気に対して、患者本人の自然治癒力を高める漢方薬を使ったり、鍼灸治療を行なったりの、予防が中心です。

医学の歴史とアプローチの違い

また、歴史的、政治的背景による違いもあります。

西洋医学は、古代ギリシア・ローマ時代に始まり、本格的な人体の構造解明は14世紀頃から飛躍的に発展したのです。

16世紀に入り、レオナルド・ダヴィンチが、科学としての解剖図を多数残しました。

日本では1754年、京都で日本初の人体解剖が行われ、そして1771年には、杉田玄白らが江戸小塚原で刑死者の解剖に立ち会い、1774年に解体新書が出版されました。

また、19世紀に「細胞病理学」が近代医学の根幹となる考えとして確立され、現代医学の基礎となりました。

これは、「人体を細胞レベルまで分解し、悪い部分を良くすれば、病気は良くなる」という考えです。

それまでの医学は、「体液のバランスが崩れると病気になる」という考え方をしていたのです。

ウィルヒョウはこれを否定し、「生命の主体は細胞であり、病気とは、その細胞が異常をきたす現象である」と結論したのです。

「全ての細胞は、細胞から生じる」という原則に基づき、病気の原因を細胞レベルまで細かく分解して追究する道を開いたのです。

しかし現代では、「細胞だけ」に目を向けるのではなく、「身体全体のネットワークや免疫システムを整える」ことの重要性にも気付いたのです。

臓器や細胞は独立しているのではなく、神経、免疫、ホルモンなどを介して全身が繋がっているため、局所的な治療と並行して、全身のバランスをケアすることが治療には不可欠と考えるようになってきたのです。

それでも「病気をみる西洋医学」には変わりありません。

例えば、頭痛を訴えると、脳神経外科を受診します。

脳の断面を撮り、頚椎や首の並びを診ます。

異常がなければ、片頭痛や筋緊張型の頭痛、及び、群発性頭痛と診断し、鎮痛剤を処方されます。

東洋医学は「病人をみる医学」と言われており、頭痛を訴えれば、頭痛以外の症状も確認します。

原因は、人それぞれであり、どんな体質なのか、どのようにして頭痛になっていったのかを診なければならないからです。

両医学に共通する根本的問題

このように、現代医療―西洋医学と東洋医学の違いがあります。

しかし、どちらにも共通している重要な問題があるのです。

それは、ほとんどが当てずっぽうの医療だと言うことです。

決して、あなたを唯一無二の存在として向かい合い、あなたを研究した上で行っているわけではないということです。

というよりも、「そんなことなど出来る訳もない」というのが本音なのです。

現代医療は、個人の為に発達したものではありません。

多くは、全体に対して、あるいは一般的には、というのが前提の医学です。

そんな医学を、世界を支配しようという一部の勢力が、都合よく利用しているのです。

そんなその他大勢扱いの治療でも受け入れられる人は、それでいいと思います。

しかし、生活に余裕ができて「自分を大切、可愛い」と思っている人が多くなった現代社会では、そんな医療は受け入れられなくなってきているのです。

その他大勢扱いではなく、「唯一無二の人間として扱ってもらいたい」と思うのは、当然なことです。

そんな意味では、現代社会にそぐわない医療システムであり、教育システムなのです。

現代医療は、死体解剖から始まっています。

そんな医学、誰にピッタリ当てはまるというのでしょう。

無理矢理、生きている人間に当人とは全く関係の無いデータや理論を押し付けても、良い結果が出るはずもありません。

当然に、医療を行なう側はそれを分かっています。

充分に理解していないのは、一般国民側です。

第3章 なぜ治らない人がいるのか

医療から見放される患者たち

どの病院へ行っても、どんな医師に診てもらっても、良くならない病気や症状の人は、本当に良くならない人なのでしょうか。

西洋医学で向かい合っても、東洋医学で向かい合っても、良くならないという人は、実はいっぱいいます。

そんな人は余程重病なのか、余程難しい病気や症状なのか。

それさえも分からない、というのが現状です。

そもそも病院へ行く人は、何を目的に行くのでしょうか。

最初から、病院に行く場合には「こんな事、こんな状態だから」というものが決められているのでしょうか。

それは、病気やケガの診察・治療、定期的な薬の処方、および健康診断であれば、そうです。

熱や激しい痛み、長引く不調がある場合や、病気の早期発見と予防のための受診です。

医学を学んでいない一般国民であれば、体調が異常であれば、病院へ行くと考えるのが普通でしょう。

そんな人の中には、長い間、不調が続いているという人もいます。

勿論、それまでも何度も病院へは行っているのですが、一向に変化が無いというのです。

そんな人は、決して少ない訳ではありません。

そして、そんな人は、医師も熱心に診てくれる訳でもありません。

何度病院へ行っても、長い間通っても、何も進展しないという人なのです。

そんな人の年齢はさまざまで、未就学児から、中学・高校生、20代~60代~100代までいます。

決して少数派ではないのです。

多くの場合、最終的には心療内科へ回されてしまいます。

しかし、心療内科で良くなることはありません。

そんな人達の医療費は、決して少額ではありません。

間違いなく社会問題です。

そんな人達を、専門に診る科が無いというのが現状です。

そんな人は、東洋医学においても存在します。

これも東洋医学の限界なのです。

求められる「人間研究」と本当の原因

そもそも、そんな人達は、何を求めて病院や治療院へ行くのでしょうか。

何を期待し、望んでいるのでしょうか。

それに対しては、”人間研究”、”その人研究”が、必要な分野です。

お金、治療費の問題ではなく、その人が求め望んでいることに応えることこそが、一番大切なのです。

それこそ、唯一無二の存在の”自分”なのですから。

それまで色々な病院・治療院で治療を受けて来ているのです。

頭痛や腰痛、発熱、吐き気、動悸、だるさ、倦怠感、体重の増減、めまい、立ちくらみ、胃痛、嚥下障害、噛み合わせの異常、不眠、気分の落ち込み等々、様々あったのです。

それが、繰り返し起こるのです。

一体、何がそうさせているのか。

本当の原因は何なのでしょう。

現代医学も東洋医学も限界です。

そんな人が沢山いるというのに。

放置出来ない問題です。

にもかかわらず、現代医療は放置しています。

つまり、どんなにしても、現代医学、東洋医学の限界があるのです。

例えば、心の問題や生い立ち、家庭環境、現在の立ち場、等です。

現実的には、心の問題を扱える病院も医師もいません。

形式的な診察では、解決などしません。

結局は、当たるも八卦当たらぬも八卦的な治療になってしまっているということです。

教育と医療における「自己責任」

教育も医療も「自己責任」というのでしょうか。

私は思います。

間違いなく、教育も医療も自己責任だと思います。

教育は、一人ひとりに合った時期、タイミングで指導するのが良いと思います。

本人が全く準備が出来ていないのに、無理矢理押し付けても、能率は悪いに決まっています。

子供達は自覚出来ていません。

一人ひとり、タイミングが違うのです。

それに合わせて行なうのが良いはずです。

また、自分の自覚の中で行なうのが良いはずです。

だから、子供からの自発的な要求の上で行う学びこそが、大事なのです。

では、「医療」はどうでしょう。

そんなタイミングがあるでしょうか。

あるとすれば、どんなタイミングでしょうか。

病気をした時、事故に遭った時、ケガをした時でしょうか。

それでは遅いのでしょうか。

医師を目指す以外は、そんな状態になっていない時に病気について、ケガについて、自ら真剣に学ぼうなどとはしないと思います。

現実に、人は自分の体、健康、病気やケガについて人任せです。

本当にそんなことで良いのでしょうか。

と言って、特に何事もない時に、解剖学や生理学・病理学などに興味が持てるでしょうか。

そういう意味では、一般国民にとって、教育や医療は難しい問題です。

とは言っても、大切なことですから、なんとか興味を持てるきっかけはないものか。

第4章 『読脳』という新しい可能性

『読脳』とは何か

ここです! 私が伝えたいのは。

このタイミングで紹介するのが、『読脳』というものです。

読んで字の如く、脳を読むというものです。

それは、自分や第三者の脳の情報を、です。

『読脳』を利用することで、いざ病気やケガ―体の異常を感じたり、違和感があったり、病院や治療院へ行っても良くならない、いわゆる「現代医学・現代医療で良くならない難治な病気・症状」にかかった時など、自分でその原因を探ったり、緩和させたり、良くしたり取り組むことが出来るのです。

上達すれば、自分のことだけでなく、他人のことも、自分のことと同じように出来るようになるのです。

そんな便利なものがあるのか、と誰もが思いますよね。

それがあるのです。

病院の予約を取ったり、待合室で長時間待たされたり、飲みたくもない薬を飲まなければならなかったり、それで良くなるのであればそれでも良いと思える時もありますが、毎回そうなるとは限りません。

病院嫌いという人も沢山います。

それでも仕方なく行かなければならないということがあります。

そんな時、この『読脳』が出来れば、便利です。

勿論、誰もが最初からいきなり出来る訳はありません。

自分から学ぶ気持ちを持って学ぶことで、得られるものです。

医療の限界を超えて「自分」の専門家になる

医者は、医学部で6年間学び、国家試験に合格しなければなりません。

そして、5~10年の経験を経て、それなりの医師として現場に立ちます。

それでいて、あなたの病気・症状・異常に対して充分に対応出来るかというと、すでにお話してきたように、出来ません。

それは、彼らは幅広く、国や法律で決められている病気、症状に対して、決められた方法で向き合わなくてはならないのです。

それは、日本は保険医療がベースにあるからです。

そのせいで、目の前のその人が求めても、充分に応えられないという医療になってしまっているのです。

つまり、医療は所詮、広く浅く、適当にやるということになります。

患者当人は、自分の病気・症状を良くして欲しいのですから、「自分」の専門家であって欲しいと望んでいるのです。

そんなことを言うと、「そんなもんあるか!」って叱られます。

だから、他人には任せられないということになるのではないでしょうか。

「自分のことは自分で良くしなければならない」ということを充分に理解した上で、「自分の問題は自分で解決する」という心構えをしっかり持たない限り、”『読脳』の学び”は続かないのです。

基本的に「学び」というのは、適当では出来ないということです。

また、『読脳』の学びが、病気やケガにだけしか使えないというのではなく、人生や人間関係、家族の問題、夫婦の問題、未来の問題等、利用の仕方によっては、大変範囲が広いのです。

それは全てが、脳の情報の上で生きている人間です。

そんな自分の脳の情報が読めるようになれば、間違いなく自分にとって便利なものになるということです。

医療・教育体制の歪みと社会の眼差し

医師の守備範囲は、かなり限られたカテゴリーであり、かなり限られたことしか出来ませんが、子供同士のケンカや、恋愛問題、夫婦の問題、仕事や未来・将来のことなどについては、「医師蚊帳の外」です。

そんな医師ですが、医療政策において国が認定した医師ですから、一般国民よりも「偉い人」と位置付けられています。

医学部でそんな教育をしているのか、それとも大学では絶対的立場であった医師であり、教授を真似ているのか。

何がそんなに偉いというのでしょうか。

海外の医師は、国民に対してそんなには偉そうにしないという国もあるというのに。

多分、後進国家では、医師はかなり偉い存在としてあります。

日本は、そんな後進国家並ということなのでしょうか。

国の支配構造を形作る上で、必要な教育・医療というカテゴリーなのです。

医師や教師は、そんな立場に置かれているのです。

そういう意味において、そんな政策をとっているのです。

間違いなく、支配システムの中の組織構造の一部として存在しているのです。

正に、国民の意識と乖離しています。

人間的、社会的、個人的にも認められ、尊敬されているのであれば、そんなに自ら偉そうにはしないと思うのです。

日本では、人間的にも社会的にも認められていないし、尊敬もされていないことを自覚しているからなのでしょうか。

家庭内では、もうすでにどのレベルの人間なのかは家族の皆が知っていますから、家族に対しては偉ぶったりはしていないと思います。

もし、していれば、奥さんからも子供からもバカにされ、相手にされないでしょう。

多分、多くの医師はそう思っているでしょう。

しかし、現在の日本では、家庭内だけでなくすでに社会全体で、医師、教師に対しては、家族と同様の見方、考え方をしています。

知らないのは、当の医師、教師達だけなのではないでしょうか。

願わくば、もっと自分のことを考え、人間的な成長を、それまでしてこなかった、さらに必要なかったのですから、これからは人の話に真摯に耳を傾け、自分の世間知らずや思慮の浅さ、人を思う心の狭さに気付き、何はともあれ、自己の成長を第一の目的にする方が、将来を考えた時、はるかに自分にとっても良いはずです。

そんなことで医師や教師のレベルが上がれば、どれほど国民も喜ぶことでしょう。

私にも、二人の現役医師の甥がいます。

また親戚には、総合病院を経営し、院長をしています。

そんな彼等も人間的な成熟を果たしている人であって欲しいです。

第5章 『読脳』を学ぶ心構え

自己成長と真摯な態度

そんなこともあり、自分に対しても、第三者に対しても価値のある『読脳』を学ぶということは、自分の成長を第一の目的として学んで欲しいのです。

自分の脳や相手の脳が受け入れてくれなければ、脳には情報が現れないのです。

自分を偽っても、脳は全てを知っています。

脳は、自分を偽ることが出来ないのです。

他の人も同じです。

自分では格好を決めているつもりでも、周りの人は見抜いています。

真摯に、素直に相手に向かわなければ、相手の脳は情報を出してくれません。

だからこそ、自分を成長させること、と言っているのです。

唯一無二の自分の問いに向き合う

人には分からない自分の心、そして、自分の脳にある情報です。

『読脳』が出来るようになれば、自分で自分の脳にある情報を読み出せます。

すると、長い間、何が起こっているのか、何を問題にしていたのか、分からなかったことが分かる入口に立てるのです。

他人に話しても、問い掛けても、他人には分かりません。

それこそ、「自分だけの問題」なのですから。

第6章 人はなぜ苦しみ、迷うのか

患者が抱える不安と存在への疑問

ここで、これまで私が関わって来た現代医学・現代医療で良くならない難治な病気、症状の人達とのコミュニケーションで出てきたことを、まとめてみます。

どんな病気・症状の裏にも、不安、納得出来ない、分からない、落ち着かない、怒り等の焦燥感が存在していました。

それは、時間がただただ過ぎ去っていく焦りです。

「年齢がいけば分かることだから、焦ることはないんだよ!」と言われて、人は納得出来るでしょうか。

人はそれぞれ、その年齢その年齢で感じること、考えることがあり、整理出来ない状態や、至らない自分の思考力のなさに焦り、不安になり、不安定になっていきます。

だから、年齢には関係ないのです。

年齢によって目指しているもの、目的、望み、それ以外にもさまざまなテーマがそれぞれあります。

それ等に対しての心情は、人それぞれです。

そんなものの原点は、何なのでしょうか。

どうしても出てくるのは、「自分とは何者!」です。

なんで生まれてきたのか――分からない。

なんで生きるのか――分からない。

なんで生きていくのか――分からない。

何の為に生まれてきたのか――分からない。

何をする為に生まれてきたのか――分からない。

何をしなければならないのか――分からない。

自分は何が出来るのか――分からない。

自分は何時まで生きるのか――分からない。

分からないことばかりなのです。

なんで、そんなことを考えるのか。

体調が悪いからなのか。

落ち込んでいるからなのか。

寝不足だからなのか。

疲れているからなのか。

お金に困っているからなのか。

空腹だからなのか。

彼女(彼)に振られたからなのか。

成績が上がらないからなのか。

いじめに遭ったからなのか。

病気、ケガをしたからなのか。

家族の仲が悪いからなのか。

仕事が見つからないからなのか。

仕事をクビになったからなのか。

将来が見えないからなのか――等々

本当に様々あります。

どんな年齢、どんな事柄でも、人は、そんな状態に陥ります。

それは、何を意味しているのか、です。

抗えない自分の環境と不確定要因

人は、自分の意志で、この世に生まれてきたのではありません。

両親も、家族関係も、家庭の事情も、自分で選んだ訳ではありません。

さらに、性別も、体質も、体型も、生まれた地域、国、時代も、全て自分には関係なく決まっていたのです。

自分の意志、望みではなく、勝手に決められたのです。

誰も、そんなもの、素直に受け入れられません。

この地球に生まれ出て、自分の五感に慣れることから始まったのです。

それに慣れていくには、人によって様々です。

両親、家族、家庭環境は、受け入れていく以外ありません。

この人が両親なのだ。

この人は兄で、姉なのだ。

そのまま受け入れればいいのか。

しかし、それは後で「そうではなかった」ということも、起こる可能性があります。

これ等は、不確定要因なのです。

性別や体質、体型を、素直に受け止め、受け入れられるのか。

性の問題を抱えている人は、どの国でも、地域でもいます。

一生の問題です。

赤ちゃんや幼児の頃であれば、本人よりも周囲の人の方が気にしてくれますが、それ以後育っていくと、その違和感を強く感じる人にとっては、重大な問題になります。

それこそ、自分の存在を否定したくなるという人もいるでしょう。

まだしも体質や体型は、努力次第で変わっていきます。

時代や国や地域は、全く自分ではどうにも出来ません。

勿論、両親達も、どうにも出来なかったのです。

人間として生まれるということにおいては、どう足掻いても、どうすることも出来ないものがあるということです。

そして、一番最初の「自分が生まれる」ということについては、どんなに足掻いても、手も足も出ません。

人は、そんな自分の背景を背負って生まれ、生き、生きていくのです。

そして現在、未来、過去が作られていくのです。

人は過去のことで、現在のことで、未来のことで、悩み、困り、苦しみ、混乱し、さまよい、そして放棄するのです。

これ等全てを意識し、自覚することが出来、混乱しているのです。

そして、それはさまざまに体調不良や不定愁訴、現代医学・現代医療で良くならない難治な病気や症状として現れるのです。

“愛100%”からの乖離と脳からのサイン

なぜ、そんな状態になるのか。

それは、「愛100%」で生まれてきた自分が、100%でなくなった時に、脳から送られる「サイン」なのです。

若い時には、それ等が繋がっているということが分からないかも知れませんが、年齢と共に分かってくる場合や、分かる準備が出来るようにもなっていきます。

といって、どうしたら答えが得られ、改善するのか、良くなるのかは分からないままです。

その結果として、薬を飲んだり、寝込んだり、休んだり、病院へ行ったりするようになります。

全く違う位置から眺めれば、見えるものが見え、分かるものが分かるということがあります。

それはどんな位置で、なのか。

それは、眺める位置が違うということです。

毎日、人と関わる医療者や教育者は、一般の人よりはそんなことを考える機会も時間も、多く持っているのですから、その機会や時間を最大限に生かしていただきたいと思うのは、私だけではないと思います。

生命と宇宙の壮大な歴史

あなたや私は、そんな両親から生まれたのです。

そんな両親も、同様に、そんな両親から生まれたのです。

そして、我々ホモ・サピエンスは、一人の女性から始まったというのです。

それさえ、20数万年前のことです。

人類の最初は、700万年前にアフリカで出現しました。

その前は、哺乳類であり、両生類であり、魚類です。

そして、地球での最初の生物は、35~40億年前、海で誕生したのです。

さらに地球そのものは、46億年前に、宇宙空間のガスやチリが集まって出来た微惑星が衝突、合体を繰り返して誕生したのです。

そして、約30万代という、途方もない代を繰り返して来たのです。

第7章 『CW Happiness Philosophy 読脳』の探求

“無”から“有”へ。愛の意義

そんな地球は、138億年前、”無”が”有”になった瞬間があったから、誕生したのです。

そうなのです。

全ての最初は、”無”なのです。

ここが、大きな問題であり、テーマです。

“無”が終わり、”有”になったのです。

“有”が発生したのです。

この”有”を全ての最初と受け止めるか、その前の”無”を全ての最初と受け止めるかは、「個人の自由」です。

何の確証もありません。

色々な人が、色々な説を唱えています。

私はこう考えているのです。

自分が納得出来る受け止め方でいい、と。

その上で、私は”無”がなくなり、”有”になった。

これを全ての最初、『元』と言っています。

そして、”無”―つまり何も無いところに、”有”が発生することを、”愛”と言っています。

この全ての最初の『元』がない限り、何も始まらなかったのです。

“無”が”有”になるためには、”情報”が”必要”だったのです。

“情報”があることで、”無”が”有”になったのです。

それには、”意味”も”理由”もあったのです。

『CW Happiness Philosophy 読脳』の理念と人生の目的

私が指導しようとしている『読脳』は、『CW Happiness Philosophy 読脳』と言っています。

これは、私達人類は、「愛100%で、存在する意味も、理由も、必要も持って生まれてきた」。

だから、私達の使命は、「与えられた地球に存在する時間(寿命)と肉体を、愛100%でそれを果たすこと」と、考えているのです。

人は地球に生を受け、与えられた時間の中で、肉体と愛100%で自分の存在する意味・理由・必要を掴む、つまり”幸せ”を掴むことが出来ると考えているのです。

ただの1分、1秒たりとも、存在の意味・理由・必要が無くなることもなく、愛100%で生まれたことが、変わることもないのです。

では、なぜ苦しむのか。

なぜ混乱するのか。

自分の存在は使命を果たすことなのに、どうしたらいいか、何一つ分からないのです。

それは、自分の脳に全ての“元”から届いている情報が読めないからです。

誰もが、分かっていません。

誰もが、掴んでいません。

親も、兄姉も、弟妹も、先輩も、上司も、掴んでいないのです。

掴んでいる人は、「幸せを持っている人」です。

年齢が若ければ、掴みにくいと思います。

分かったつもりが、分かっていない。

知ったつもりが、知っていない。

掴んだつもりが、掴んでいない。

というものです。

そんな意味では、地球で生きる時間が間もなく無くなる寸前に掴めるのが、一番確かではないでしょうか。

さらに、それと同等な掴み方が、死ぬ何ヶ月も、何年も前に出来れば、それに越したことはないと思います。

克服するものは、いろいろあります。

少なくとも、年齢を重ねた方が、可能性は高いと思います。

肉体のこと、お金や立身出世のこと、人間関係のこと、それ等を乗り越えることは、並大抵ではありません。

人それぞれ、それ等をそれぞれに克服してこそ、掴める”幸せ”です。

そこに到達するまでの道程は、大変に長いのです。

それを、”人生”と言っているのです。

人生の目的は、”幸せ”を掴むことであり、”幸せ”で生きることが、自分が生まれて来たことの役目なのです。

そして、人にはそれを伝える役目もあるのです。

その方法こそが、『CW Happiness Philosophy 読脳』と言っているものです。

脳からのサインを受け止める

現代医学・現代医療で良くならない難治な病気や症状、不定愁訴、生き辛い等の、第三者には手も足も出ないような状態は、自分の脳から「自分に届いている『元』からのゆらぎ―情報」通りに生きていないという”警告”であり、“サイン”なのです。

その為にも、この『CW Happiness Philosophy 読脳』を学んで、自分で取り組むことです。

今回企画しました

・現代医学、現代医療で良くならない難治な病気、症状
・歯科医院や大学病院へ行っても良くならない難治な噛み合わせの異常
・病院や治療院へ行っても良くならない嚥下障害
・現代医学では良くならないリハビリを必要としている病気、症状
・現代医学や現代医療では良くならない不定愁訴

のクラスは、

そんな『CW Happiness Philosophy 読脳』を体験し、「自己センサー」をトレーニングし、「問いかけ」を学び、『読脳』を実践で使えるようになるよう指導する場として、日本だけでなく、世界に向けて指導しようとしています。

私の活動は、世界が対象です。

本来の自分育て
CW読脳フリースクールのご案内

いろいろなクラスに横断的に参加も可能です。たくさんの人の話しを聴き、「本来の自分育て」にお役立てください。

当書物の著作権は伊東聖鎬に帰属します。無断での転載、複製、改変を禁じます。

CW読脳フリースクール
山梨県南都留郡鳴沢村11403-20
front@cw-community.org
TEL 03-6555-4751

CW Happiness Philosophy 読脳・読脳法・DOKUNO
重力バランスシステム回復療法・重力バランス軸調整療法

支持骨-システム回復療法・浮き沈み回復療法
は、伊東聖鎬の登録商標です。