自分が選んだ人生の伴侶
もっと早い時、せめて小学、中学生頃から、準備しようと思えば、できたはずです。親の言いなりになって怠っていた、遊びにかまけて何も考えなかった、親に甘えていた、感受性が鈍く気づけなかった等々。そんな延長で高校、大学へ進んだのでしょう。卒業後は、自分を捨て社畜として働く、奴隷として生きてきたのでしょう。
そんな生き方の中で選ぶ結婚相手は、同じような相手です。そんな相手と家庭を築いたのです。そんな家庭で育つ子の未来は見えています。そして、自分たち夫婦の未来も見えています。
それは50歳を過ぎると、少しずつ顔を出してきます。ようやく子供たちから解放されるのですから。すると、奥さんもようやく気づき出すのです。
「こんな生活でいいのかな。こんな人(主人)でいいのかな。自分はもっと違う生き方をしたかった。このまま、こんな生活が続くのかな。やだ、やだ、もっと違う生き方をしたい。」
世の奥さん達は、多かれ少なかれ50歳前後になると、そんなことを考えるようになります。多分、それはホルモンの関係なのです。
「若い時は、こんな自分でもそれなりに受け入れてくれたし、満足もしていたのに」と、夫にすればそう考えますが、女(雌)はホルモンの上で生きています。そう考えるようになるのは、至極当然なのです。
ただ、奥さんがそうなってきたとき、夫がそれに耐えられるだけのものを持っているかが問われるのです。そんなものを持つには、中学、小学校の頃に、感じて、準備を始めていなければならないのです。
女は、奥さんは、自分の価値を測っているのです。「夫に付いていくのはいい。しかし、それは中身次第」という訳です。
「価値のある存在でいたい。価値のあることに関わりたい。価値のある人と一緒にいたい。価値のある人生を生きたい。」
それに応えられる生き方、考え方、人生、未来を持っているかどうかが問われているのです。
「若い頃は、そんなこと何も言わなかった」男と違うのです。「ホルモン」が変わったり、「スイッチ」が入ったりすると、本人のそれまでの気持ちとは関係なく、豹変するのです。
本人は、それほど自覚していません。それは相手に関係なく、所に関係なく、自然にそうなるのです。
これに付いていける男は、あまりいません。それこそ青天の霹靂です。多くの夫婦が、経験します。その時、それに対応できるだけのものを持っているかが、その後の二人の関係に大きく影響するのです。
夫は、それを無視したいでしょう。そんな風にやる夫がほとんどです。それに対して、妻はひるみません。さらに強くなっても、弱くなることはありません。これが60代の夫婦の関係です。
10年もそんな状態にあれば、さすがに夫も努力し出します。定年退職してから、益々二人の距離が離れていくのか。それとも改心して、妻とのコミュニケーションを真剣に受け止めるか。ここが正念場です。
その結果が、70代に証明されます。60代以上は、妻が全てです。それまでの評価によって、妻の夫に対する対応が変わるのです。そうです。若い時と逆転するのです。
男は女に対して「最初の男になりたい」と望み、最初の頃はけなげに一生懸命ですが、一旦手に入れ、時間が経つと、おろそかにします。
しかし、女は「最後の女でありたい」と考えるのです。人生の終わりに近づいて、「私は大事にされているのか」、それが大きなテーマになるのです。女は有終の美を飾りたいのです。
男は途中、過程が大事なのです。結果は我慢できるのです。男がそれまで一生懸命にやってきても、女はその後、有終の美が大切なのです。
そんなことくらいで凹たれていては、妻の眼鏡に適わないのです。死ぬまで妻のために努力することです。妻を幸せにすること、それこそが男の幸せであり、本望なのです。
しかし、そんなことが言える相手(妻)を選んだかどうか。そこが、問われるのです。
命を懸けて、幸せにしたいと思える相手。つまり、本来の自分の脳が求める本来の相手か。それではあれば、努力は苦ではないはずです。
さて、どうでしょうか?これが平均的な日本人の生き方ではないでしょうか。
本来の自分を見失って、自分主体で生きてこなければ(いかなければ)、人生は妥協の人生になってしまいます。
そうならないために、もっと早く、自分の脳の情報が読めたなら、全然違う人生を生きられた(生きられる)かもしれないのです。
後悔は先に立ちません。しかし、気付いた時が、チャンスです。どんな年齢であっても。
自分の脳の情報を読んで、自分の脳の情報と自分を一致して、生きられるようになってください。
