しかし、私は決行しました。
ケネディ大統領が暗殺された翌日、生まれ故郷の京都を発ち、東京へ向かいました。
25歳の時、姉の子、姪が知的障がいと診断されたことをキッカケに、一旦東京に戻りました。
なんとか姪の役に立とうと考え、医学の道に入ることにしました。
当時注目されていた「漢方」医学としての鍼灸、あん摩、マッサージ、指圧の専門学校に学ぶことにしたのです。
それ以後は、有名な先生の下で、色々な技術を学びました。
しかし、姪を良くするのは医学ではないと気付き、姪のような子や人に対して、理解してくれる社会を創っていくことが大切と考え、医師、歯科医師、さまざまな治療家を対象にセミナーを開催していきました。
私32歳の頃です。
延べ15万人の医師、歯科医師、治療家に対して指導を行ってきましたが、彼らのほとんどは、目の前の患者に関係なく、学んできた知識や技術をただ押し付けるだけで、相手のことを理解し、協力しようなどという気持ちは、これっぽっちも持っていませんでした。
私は、医療に携わる人は「人のことを知らなければならない」と訴え、相手(人)を知るという目的のセミナーを開催していきました。しかし、医療者は、そんなことには全くといっていいほどに、無関心でした。
今考えれば、「自分の事さえ考えてこなかった人間が、どうして他人のことに興味・関心が持てるのか」ということだったのだなと理解できます。
医療界の現状は、今も当時と同じです。
それは、きっと世界中の医療者も同じでしょう。
学校で学んだことを患者に押し付けるのが、「自分達の仕事」と理解しているでしょう。
そんな医療に関わって、良くならないという病気や症状は、増え続けています。
そんな中で、何をやっても良くならず、悩み困っている人が年々増え続けています。
そして、そんな人や病気・症状を良くする技術も理論も、未だに開発されていないという実情です。
相手(人―患者)のことを理解しようという考えも、方法も、旧態依然のまま、持っていないのです。
学校で学んだ知識・技術を行使すれば、それで終わり。
それで良くなればいいし、良くならなければ、自分には関係ない。
そんな考え、態度です。
