4. 読脳法を開発した背景
私は全国放浪の旅の途中、25歳の時、姪の知的障がいを知りました。そのことをきっかけに医療の道に入りました。
私の伯父家族は韓国大邱市で総合病院を開業しています。世界的にも有名な腎ジストマの研究者でした。妹の二人の息子も国立大学の医学部を卒業し、現在病院で医療に携わっています。そんな関係があるとは思いませんが、偶然にも、私も医療の道を志すようになりました。
しかし、彼ら医療者と私の動機、目的、目標は全然違っています。私が目指したのは「人研究」でした。
人は、何でそんなことをするのか。何でそんな目に遭うのか。
何でそんなふうに考えるのか。何でそんなことを言うのか。
何を目的に生きるのか。何を目指しているのか。何でそんなふうになったのか。
どうして良くなりたいのか。どうしたら良くなるのか。
どうしたら、その人の役に立てるのか。何を求めているのか。何をして欲しいのか。何でそうなのか。
どうしたら相手のことを思い、協力し合えるのか。
兄弟、家族、友人、知人、国民同士、世界平和、人類平等になるにはどうしたらいいのか。
等々、いじめにあった私は、人生を人とは違う目的を持って生きてきました。
気がついた時には、私は「人の役に立ちたい。人に協力したい。自分に求めてくる人に何ができるだろう。きっと役に立てる。役に立てる方法を探し出したい」そんな思いを持っていました。
そんな私が行動を開始したのは、29歳の時、1976年でした。私と同じような考え、目的を持っているのではないかと考えた人――医療者に、私の考え方、技術を指導しようと考えたのです。
私は19歳の時から、全国を放浪修行しながら、「100の地域で100の仕事をする」を目標に生きてきていました。
すでにその頃(1976年頃)には、多くの人が自分の目的も持たずに生きていることを知っていました。
そんな多くの人に、自分は何ができるのか、どんな目的で関わればいいのかを探し出し、それを説明し、理解を共有し、その上で、その人が自分の人生を力強く生きていくことができるように協力することを目的に、医師、歯科医師、治療家、その他医療関係者を対象に、「人とは」「生きるとは」「病気とは」「良くなるとは」を考えることをベースに、「体に現れる様々なサインと脳の関係」を研究し、指導を始めていました。
しかし、ここに私の大きな誤算がありました。医師、歯科医師、その他の医療者は、ただ学校で学んだ「知識」を提供する仕事をしているだけの人達だったのです。決して、〝人〟を相手にしていません。医療や治療は、生活の糧を容易に得やすいと考えている人達だったのです。それは現在も変わらないと思います。いいえ、当時以上にはっきりしていると思います。「仕事と人情は別」と割り切っているのです。
なぜなら、人のことなど、考えようとしても考えられない。どんな風にすれば、他人のことを考えることができるでしょう。そんなこと考えられるはずもなく、掴んできてもいない。相手のことを何も考える必要もなく、評価を受けることもなく、それでいて他の仕事よりも給料がいい。そんな職業だからこそ、医療の仕事を選び、これからもやっていくという考え方の人達なのです。
そんな人達が、私の主催するセミナーにこれまで延べ約15万人以上参加しました。私とは全く違う考え、目的を持った人達でした。
そんな人達なのだと受け入れるまでに、私はそれから約40年を費やしました。そして、今では、医療、病院、医師、歯科医師、治療家、看護師、助産師、歯科衛生士、その他ほぼ全ての医療関係に携わっている人や、医療行政システムの考え方を知りました。ほとんど何も期待できない分野であり、人達なのだと分かりました。それが現実であり、現状です。
そんな中で、自分や家族、友人、知人が、病気や様々な症状で苦しんでいたり、困っていたりしたら、どうすればいいのかが私のテーマになっていったのです。
そして研究、開発したのが、この『読脳法』でした。
