中学生で先を見据えなければならない
高校2年生にもなれば、進路を具体的に考えなければなりません。そうです。大学に進学してからではないのです。高校2年生時には、それが必要だったのです。高校2年で必要であれば、それよりももう少し早く考えていなくてはならなかったということです。
それは、中学3年や2年生の時です。
中学2、3年で何が分かるのか?多分、多くの人はそう言うでしょう。しかし、それができなければ、そのツケが、60歳になって払わされるのです。子供が大学を出て、気がつけば、妻・夫ともども60歳を過ぎていると言うわけです。
これが多くの日本人の生き方であり、人生ではないでしょうか。どうして60歳で幸せになれると言えるでしょう。
結局、国が個人の生き方や人生に深く関わっているということです。それでいいのでしょうか。
中学1、2年生の時に、“自分主体で生き、考える”ということができなければ、その他大勢になってしまうということです。どんなに粋がっても、結局は国の奴隷として、家畜として生きる以外にないということになってしまうのです。
それでも、何かのきっかけで、そんなことに気づける人もいます。稀にです。
気付いたからといって、抜け出せるかというと、それは並大抵ではありません。それでも、人生を懸け、命を懸けて、そこから抜け出そうとする人もいます。それでも、うまくいかない人も多いのです。
20代や30代でそんなチャンスがある人は、恵まれた人です。
40代、50代であれば、もう家庭があります。自分一人で抜け出すことはできません。それをやろうと思えば、離婚、家庭崩壊は必至です。それでも、それを実行する人もいるのも確かです。蒸発です。それほどまでに、抑圧されていたということなのでしょう。
離婚、家庭崩壊までもしてでも、本来の自分を取り戻したいという欲求は、昔にもあったはずです。それは多くの場合、結婚制度の影響だと思われます。しかし、近年においても、その数は増え続けているのです。社会が高度経済成長、バブル経済が続いていた時代にも増えていました。
それは大学進学に向けて、猪突猛進で受験勉強をしていた団塊世代が40歳前後に差し掛かった頃(1987年~1989年)が、大きな転機となりました。大学進学しなければならないと、中学生の時から脅され続け、感受性が高く、感性を育てる大切な時期に、親からも社会からも国からも騙され、大学を出なければ人間にあらず、といった脅迫観念を植え付けられた団塊世代が、大学進学、卒業、就職、結婚、子供の誕生、家庭を持ったのです。
ただ一目散に駆け抜けてきたそれまでの生き方、人生です。子供ができ、子供が小学、中学校に上がるようになった頃、ようやく自分の人生はこれでいいのか、と考えられるようになるのです。
自分の子供が我を忘れ、進学のためにだけに生きているのを見ていると、それでいいのか?!という気持ちになる。
その行く末が、今の自分だ。今の自分は、生活に、家庭に、仕事に、人生に満足しているか?満足しているとは思えない。
どうしてこんな人生を生きているのか?なぜ、どうして?いつから、誰のために?誰のせいで、何のために?どう考えても、納得できる答えが出ません。
振り返れば、団塊世代の親たちは戦前生まれ、1910年~1925年生まれの人たちです。あの戦争を体験してきた人たちです。子どもたちには苦労させたくないという思いが強く、子どもたちを大学に進学させれば、何とかなると思い、無理をして進学させたのです。
そんな親世代の人は、現在100歳以上です。ほとんどの人は、今は生存していません。それなのに、自分も子供に受験勉強を強いている。何の権利があって、子供の自由を、可能性を奪っているのか?責任を持てるのですか?!
今の自分の生活、これまでの人生は、なんだかんだ言っても親が敷いた。そして、それに満足するどころか、不満もあるし、納得もできない。多分、同世代の人間も同じような家庭環境であり、同じように親から押し付けられ、感性を育てることもなく受験勉強し、そして大学へ進学したのです。
その結果が、先輩たちであり、同僚たち、仲間たちです。そのほとんどが自分と同じような生き方、人生を送ってきている。自分の知っている限り、満足している人間に会ったことがない。人生とは、幸せとは、愛するとは、も知らない。
自分に関係のないところで、経済も政治も社会も世界も回っている。何一つ、自分が関わっていると思えるものがない。自分だけが取り残され、全てが勝手に回っている。それに必死に付いていくだけ。全ては、結果、結果で、過程というものがない。
会社の、社会の、歯車の一つでしかない。自分というものが無い。気づけば、政治家の長老でさえ、自分より10歳も上の人はいない。安倍さんも菅さんも岸田さんも石破さんも、10歳以上も年下だ。そんな人間に、自分の人生が振り回され、追従しているだけの自分。
発見も、探求も、開発も、そんなものはない。大学を卒業して、就職して以来、自分の位置づけは決まった。周りに合わせる。上の者に言われるがままに行動する。発言も、思考も、必要とされていない。
犬でもできる。猪でもできる。多分、大学を出なくても、高卒でもできる。そんなことを就職して以来、ずっと続けてきている。自分は多分、もうすっかりロボットになっているはずだ。
夫婦の間でもそうだ。親子の間でもそうなっている。思い返せば、自分の子供の時もそうだった。両親はそうだった。兄弟も、子供たちもそうだった。クラスメイトのほとんどがそうだったと思う。
「どうなんだろう、もう40歳になろうとしている。人生の半分に差し掛かっている自分たち団塊世代は、みんなどんなことを考えているのだろう。自分は抜け出したい。
会社では、中堅、中堅と持てはやされる。家庭では、一家の大黒柱だと言われる。それなのに、社会では、その存在すらない。完全に「その他大勢」の一人になっている。
そんな人間がやることは、ギャンブル、スポーツ、不倫。自分を取り戻さなくては。子供のためにも。一体どうすればいいんだ。」
こんな風に団塊世代は、人生の岐路に立っていたのです。ところが、悪魔の仕業なのか、バブルが崩壊したのです。それは1991年の冬でした。突然にやってきたのです。誰も用意できていませんでした。今から34年前のことです。その頃40歳前後の人は、今年74歳~80歳です。
やっと気づき出し、そのチャンスを模索していた矢先でした。それがきっかけで、また多くの人が逆戻りしたのです。それからは、怒涛の2000年代に入りました。あっという間に25年が過ぎ、そんな人たちは今年、70代中頃から後半になっているのです。
当の私(伊東聖鎬)は、2025年6月で78歳になりました。少し前は、23歳だったのです。一瞬にして55年が過ぎました。
