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自分が生まれ、生きることの本質を知りたい人へ。自分の脳の情報を読む『読脳法』を指導するスクールです

私(伊東聖鎬)の小学、中学時代

私は小学校6年生でいじめに遭い、入水自殺を図るも生還しました。それ以降、なぜ自分がそんな目に遭ったのか?なぜ自分だけがそんな目に遭ったのか?何で。何で。何で。いくつもの“何で?”がありました。

そんな目に遭っていることは、両親も3人の姉妹も、全く知りませんでした。親・姉妹に一言も言えない辛さを感じながらも、小学校を卒業しました。

当然に、中学校は地元の中学校へ行くものと考えていました。入学式も終わり、クラス決めも終わり、教室でこれからのことなどを聞きました。そして家に帰ると、両親が待っていて、「これから一緒に行こう」と言われました。何のことかさっぱり訳も分からない中、父の運転する車で、大文字山のすぐ下にあり、京都の高級住宅地の北白川通りの小川が流れる傍の学校に連れて行かれました。

京都韓国中学校(現在、甲子園を沸かしている京都国際学園の前身)がありました。

「お前は明日から、この学校に通いなさい」と父から言われました。

全く予期していなかったことであり、さらに自分は韓国人だということだけで、右足首を骨折し、普通に歩けなくなって、後遺症も負い、さらに上顎前歯2本も折るいじめに遭っているのに、まさか韓国の学校に通うなんて、全く想像できませんでした。

しかし、親の言うことは絶対です。それに反抗するなんてことはできません。あまり意味も分からず、成り行きに任せるしかありませんでした。

しかし、その後の韓国中学の三年間は、私の人生にとって、なくてはならないものになりました。自分がいじめに遭っているときは、なんで自分がいじめに遭うのか、意味が分かりませんでしたが、国籍が違うことが原因だと分かってきました。

しかし、日本に生まれ、日本で育ち、家でも外でも日本語しか話さない両親に育てられ、自分は韓国人であるという意識さえ、ありませんでした。そんな自分が、「自分には祖国があるんだ」という気持ちが高まりました。それまで、国、日本、韓国などについて考えたこともありませんでした。それがクラスの全員が、「同じ韓国人の同胞なのだ」という気持ちが育っていったのです。

日本の学校にはない教科として、韓国の歴史、地理、道徳、韓国語の4つが加わりました。試験ともなれば大変です。4日間、毎日4教科の試験です。

小学校の時には、勉強するという思いや気持ちはほとんどなかったように思います。それが全く変わったように勉強が面白くなったのです。約50人のクラスで、だいたいいつも6、7番目ぐらいの位置にいました。

もっとも、韓国教科、それも韓国語はほとんど0点という有様でした。どうしても、小学校のいじめの時のことが頭にあり、どこかで抵抗していたのだと思います。韓国教科で平均点を10点以上落としていたと思います。それがなければ、多分2、3番手だったと思います。

しかし、結果として、平均点が70点代で3年間を通してそれ以上、上にいかなかったという事実は変えようがありません。そんなことは、人生を通してずっと影響したと思います。

自分は1番は取れないのだ。自分は出来ないのだ、というものです。それが劣等感として、中学、高校時代はありました。

小学、中学、高校の時の学校の成績は、劣等感として人によっては長く持ってしまうものです。そんな劣等感と闘うのも人生なのでしょう。劣等感をどう克服するかは、ティーンエイジャーにとっては、それぞれに大きな問題です。

それをいつ克服するのか、どのようにして克服するのか。10代の若者にとっては、最大のテーマかもしれません。私は、劣等感との闘いは30歳まで続きました。そして、克服しました。私の人生の闘いの中で最初のテーマでした。

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